Report
 今回は私のジムカーナ活動の大転換期のお話。
前の仕事の関係で三重県に在住していたころに非常に重要な人物にめぐり合うことができた。
宮本泰二さんと黒谷直純さんである。黒谷さんはご存知の方も多いと思うが(中部でしらない人はいるのだろうか)宮本さんを知っておられる方は相当古いかマニアである。

私は宮本さんのお兄さんと職場が同じだった。ひょんなことからお兄さんとジムカーナの話になり、「弟が金屏風の前で撮った集合写真がJAFスポーツの表紙を飾った」なんて話をするもんだから唖然。その後3日もしないうち私はその弟さんの自宅の部屋で私の走行ビデオを一緒に見ていた。そのときの行動力たるやすさまじかっただろう。お兄さんには異常に見えたに違いない。実に謙虚で男前の彼は私よりはるかに若い。話を聞くうち、本当にすごいドライバーだということがわかってきた。残念なことに知り合ったときはすでに引退していたが、その昔全日本戦がない時代19歳にしてJAFCUP5位をシティでとったのである。その後EF8に乗り替え、ダンロップ、バルボリンのサポートをもらい中部ではトップドライバーとして大活躍していた。

ある日二人でお酒を飲んだとき、彼は衝撃的なことを私に教えてくれた。今でもはっきり覚えている。
「練習してるとあるとき突然わかったんです。それからはあっという間に速くなりますよ
「えっ?なにが??」
「速い走らせ方ですよ」
「どんな?」
「・・・・・」
それは彼の口からうまく説明できないらしい。私は考えた、考えて出した結果が"ひたすら練習”だった。結果的にそれが正しい答えだった。彼の言った意味も理解できたし、実際結果も出すことができた。
こんなことをいってくれたのはいまだかつて彼一人である。

ひたすら練習って言ったってどーすればいいかわからない。そのとき宮本さんからある人物を紹介してもらった。それが元東海シリーズチャンピオンでJAF戦ドライバーの黒谷さん。僕の師匠であり最大のライバルであり敬愛すべき兄貴である。年は私より10歳上だけどとても人当たりがいい、えらそうなことも一切言わない。私など弟気質な人間には格好の甘えどころである。私は黒谷さんとその仲間と週に2回の練習を欠かさなかった。運良く全員がEF8で3人〜4人がいつものメンバー。場所は山奥のある敷地を借りた。タイヤがなくなれば、ノーマルタイヤでもやった。あめがふってっも、雪が残ってても、早朝でも深夜でも。それを約2年間続けたのである。いつもパイロンを持ってきてくれて、コース作ってくれて、タイム計ってくれたのが黒谷さんだった。

あるドシャブリ雨の日のこと、早朝5時に黒谷さんに電話して起こしたことがあった。
「雨でもイベントはあるんだし、練習したい」
というと彼は文句ひとつ言わずパイロンつんで片道1時間の練習場所に駆けつけてくれた。今思い出しても感謝の気持ちで胸が熱くなる。
やり始めたころは1分のコースで5秒も遅かった。そんな時期が結構続いた。でも2年目に気がつくと黒谷さんを抜かせるようになってきたのである。表彰式で並んだこともあった。10年間ジムカーナをなんとなく楽しんできて、ビギナー戦で真ん中より後ろを走っていたのに、2年たったらJAF中部戦で最高4位、中部オールスターの豪華メンバーの中6位入賞できたのである。私にとっては本当にあっという間の2年間だった。

残念なことに関東に戻ることになり彼らともお別れになった。その後激戦区のJAF関東戦でもポイントを取れたが、昔関越シリーズで下位をさまよっていた中島ではなく、中部から来た中島に変身したのである。
皮肉なことに私が関東に戻った最初の年に黒谷さんは中部チャンピオンを取った。私が邪魔してたようだ。

これを読んでいただいた方々には、ぜひこの話を鵜呑みにしてほしい。
何も疑うことなく練習に励んでほしい。そうすれば必ず「あっという間に速くなれる」のである。
佐川選手は、疑うことなくまんまと鵜呑みした一人である。
そして私は、私が過去に受けた温情をお客様に返すべく、この仕事を始めたのである。
先日の全日本キョウセイに黒谷さんは応援に来てくれた。2位という結果は彼のお陰である。
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2 「あっというに速くなる?」 2003年4月23日