2009年1月31日(土)

 私の周りはレーシックの話題で持ちきりでした。もう大丈夫なの?とか、視力はどれぐらいになったの?とか、遠視はどう?とか、僕もやったんですよとか。

斜め読みしてますとか

話が長いよとか

何もしてないのに視力2.0で高速道路に落ちてる50円玉が見えるけど新聞の字がまったく見えない四国のおじーさんとか。

■レーシック2日目(11)
 天空の果てまで登りつめるかのようにインバーターは小気味よいメロディーを奏で、地下鉄と僕の焦燥を加速させていた。瞼を開けられない右目の痛みに神経を集中させ、感覚と想像でできるだけ冷静に分析した。瞼の裏で眼球を動かすと痛みは増しながらも、その痛点は眼球にあることがわかる。瞼の痛みではない。眼球の上部にゴロつく感がある。定着しきらないフラップの縁が、まるで古いシールの縁のようにめくれてしまったのではなかろうか。ウィンクしたまま袋の中をまさぐり、点眼薬の詰まったビニール袋を取り出した。ジッパーの合わせ目をもどかしく開き、腹とウェストバッグの間に全てぶちまけた。左隣に座っているOL風の女性が、怪訝に覗き見た気配を肩越しに感じながらも、それを気にする余裕はなかった。乾燥とゴロつき感を取り除く使い捨ての点眼薬カプセルを房から切り離し、キャップをネジ切る。固く閉じた右目の眼尻が濡れ、皺に沿って涙が伝い落ちそうだった。ゴーグルを外し網棚の底を仰ぎ見ながらそっと開いた右目の瞼を左手で割り開き、一気にカプセルを押しつぶした。連続して滴る薬液が溢れ、こめかみと耳たぶを濡らしながら首筋に流れた。前に立つサラリーマンが、遠慮気味に視線を外した気がする。瞼を開いたまま眼球をぐるぐる回転させ目薬をなじませ、僕はゆっくりと瞼を閉じた。ひと筋の涙が僕の頬を伝いあごの先端で揺れながらゆっくりと落下していった。
 すっかりさま変わりした駅の改札をくぐり、線路に平行に立ち並ぶ商店街とは反対側の薄暗い路地を選んで左に折れた。昨日は商店街を歩いて実家まで帰ったが、市営バスがすれ違うと歩行者は店の軒下に避けて通るほどの狭い道をウィンクしたまま歩く気にはなれなかった。痛みは解消することなく続いていた。どの道、線路伝いに10分も歩けば僕の実家にたどりつく。子供のころ、小さな木造の駅舎の改札は商店街側にしかなかった。ところが僕が高校生の頃に開発の手が及び、野良猫しか通らなかったアシが生い茂る駅裏の沼地を埋め立ててロータリーができ東急デパートが建った。いまや商店街側が駅裏の様相だが、地域の高齢化と車を持つには不便な中途半端な環境が、古風な商店街の存続の後押しをしていた。天然ボケの父は80歳を超え、漫才師の母はその三つ下であり、彼らもまた商店街の常連だ。昔ながらの細い路地の両側に昔ながらの商店が軒を連ねた懐かしい路。真鍮のボウルが吊るされた金物屋はビルに立て直してもやはり金物屋だった。早朝から深夜まで休むことなくシャッターを開ける八百屋は2代目が店先に立ち、老夫婦が店の奥の丸椅子にちょこんと腰かけていた。米屋、呉服屋、レコード屋、鰻屋。そして僕が中1の夏に父に連れられ初めて眼鏡を作ってもらった眼鏡屋も、ショーウィンドーの中に整列したフレームを誇らしげに輝かせていた。
 東急デパートの脇の階段を慎重に降りると途端に暗く狭い路地に出る。モダンなビルの表と裏が別世界なのは新旧が混在した街の特徴かもしれない。僕は痛みに耐えながら足早に路地を抜け、県道の踏切をクランク状に渡って再び線路伝いに家路を急いだのだった。

2009年1月30日(金)

 おいブラピ!たまには日本に来い!
ホントに来ちゃいましたね(笑)。おとーさんすごいなぁ♪

 さて今日は、

パティーいかなあかんねん。>MR.BATER

 ブリヂストンタイヤ様から、品プリでパティーやるからおいでよ♪とのお誘いを頂きましたので、お言葉に甘えて行ってきます。
時間があったら掲示板に投稿するね。

■レーシック2日目(10)
 部屋の奥を直角に曲がると、そこは、壁に沿ってLの字に長椅子が置かれた薄暗い小部屋だった。長椅子の正面にはドクターが二人、眼球を拡大観察する検査機の向こう側に座ってクライアントの眼を覗き込んでいた。最終検診らしく権威を漂わせた白髪まじりの老ドクターだった。屈折した見方をすれば、本日の仕事の出来を自らが評価して、この巨大な事業を成し遂げた達成感に酔いしれているのかもしれない。この老ドクターでさえ保父さんの声で僕をつかの間の安堵へといざなった。綺麗に仕上がってますよ、と。
 ロッカールームの眩しさに目を細めながら、預けた荷物を引っ張り出した。一番前に置いたヒューゴボスの眼鏡いったん棚に乗せ、セーターとジャンパーを着て、ウェストポーチのベルトを締めた。最後に、もう使うことのない眼鏡を包み込むように手に取り、バックの中にそっと置いて、チャックを閉じた。
 シャンパン色の保護用ゴーグルに透かした有楽町の駅前は、すっかり夜のドレスを纏っていた。色とりどりの滲んだ光が溢れかえった世界に夜空を見上げる者は誰もいない。頭上に移動した月さえビルの断崖に阻まれていた。植樹に張り巡らされたブルーのイルミネーションが天の川のように流れ、行きかう車のライトを導いていた。ビルの明かりとお店のディスプレーと看板灯にカラフルに彩られたアスファルトの上、愚かしいほどに実直な街灯だけが寡黙に立ちつくしていた。見上げた高層ビルの高みに灯されたコピー機のメーカーのネオンが夜空を赤く染めている。いや、夜空ではなく僕の視界を染めているのだろう。その文字が読み取れる驚きと喜びを、雑踏に悟られないように胸に秘めながら、僕はシャッターを押した。記念に撮ったその夜景は、携帯のディスプレーに納まると実体よりも酷くぼやけていたのだった。
 地下鉄に押し流される風に背を向け目を閉じた。風と埃と乾燥は極力避けなければならないからだ。もやの立ち込めた車内に立ち続けるのが辛いので空いた座席に深く腰掛けた。開いた携帯の文字がまったく読めないのは想定内の遠視である。そのことに特に落胆はなく、むしろ失われたことよりも得たことへの歓喜がじわじわと増し、高揚していた。そして2駅ほどが過ぎたあたりだろうか。何の警戒心も持たぬまま、無意識にまばたきをした瞬間、右目の上瞼の縁にかすかな引っかかりを覚え、突如焼けるような痛みに襲われたのだった。

2009年1月29日(木)

 ここで紹介した読書レビューに関するご感想メールをいただくことが最近増えてきました。僕も通勤電車で読んでみて面白かった、とか、私も同じ作者のこの本を読んで面白かったからおぢさんも読んでみてね♪とか。嬉しいですねぇ。

では、飽くなき連載を今日も飽きずに読んでください。


■レーシック2日目(9)
 暗幕が引かれた薄明かりの部屋の周囲にはシングルのソファーがずらりと並べられていて、すでにその半分以上が埋まっていた。誰もが体の力を抜いて目を閉じていた。僕は看護師に腕を引かれながらあいてるソファーに腰を沈めた。ここで15分以上目を閉じ、フラップの定着を待つのである。但し眠らないように、と耳元で念をおされて看護師は立ち去った。睡眠は涙の分泌を抑えるため瞳がドライになり易く、術後の安定を遅らせるらしい。暗く静かな部屋は温度も湿度も快適で、柔らかなソファーは座り心地がよかった。手術の緊張から解き放たれた疲労感が僕の全身にまとわりつき神経を重くしていた。ソファーに体を預け目を閉じたままじっとしていると、脳内に遥か彼方の汽笛が鳴り響き、皮膚は生暖かく濡れた薄膜で覆われたような感覚に陥った。だが、心の奥にはまだ興奮の余韻がくすぶり続け、眠りに落ちるには程遠い状態だった。閉じた瞼の裏の角膜を想像で観察し、眼球を動かさないように暗闇の一点を見据えた。動かすと瞼と擦れてフラップがずれるのではないかと不安になるのである。
 5名ずつが名前を呼ばれ、次の部屋へと移動するクライアント達の気配を耳だけで感じながら20分ほどが経過しただろうか。僕を含む5名の名を呼ばれ、僕はそっと瞼を開いた。痛みはなかった。視界は強烈な紗がかかり、微細な光の綿毛が暗闇の隅々まで張り巡っていた。だが、単にぼやけているのとは違った。離れた光源が頼りなくも見えたのである。ランプの形も傘の形も、綿毛にくるまれながらその核を露わにしてた。名を呼んだ看護師の方に目をやると紗のかかった白衣がわずかにぼやけながら浮かび上がり、その輪郭がわかる。大胆に開いた胸元には、真紅の下着からこぼれた柔らかな肉が谷間を形作り、絞られたかのような細い腰のくびれから滑らかなカーブを描いて均整のとれたヒップに駆け下り、そこから真っ直ぐに伸びた脚線は、ガーターベルトに吊られた黒の網タイツになぞられどこまでも細くなってピンヒールに至っていた。妄想視力2.0は健全なようだ。手にはカルテを持っているというぐらいはなんとなく見える程度である。距離は10mはあるだろうか。希望的観測を排除しても1.0以上はあるのではなかろうか。いや、先走るにはまだ早い。僕は自らを自制するかのように、ソファーに沈んだ腰をゆっくりと持ち上げたのだった。

ちょっと今日はセーブ。

2009年1月28日(水)

 都道府県別ブランド力ランキングで

栃木県は

見事

ビリッケツからブービーに昇格したっぺ!(^0^)/

ビリは群馬県だっぺ。ビリから3番目は茨城県だっぺ。

■レーシック2日目(8)
 脱臭ファンを設置して下さい。”お客様の声”という用紙がエントランスにあったら、僕はでかい字でそう書いてやろうと心から思った。誰でも自分が焦げる匂いは嗅ぎたくないのだ。ただ、実際角膜が焼ける匂いかどうかはわからない。まつ毛かもしれないし、マシーンから漂うものかもしれない。だが、自分の目が焦げてると想像させるだけで、それは立派な罪である。
 それにしても、32年間もの長い年月を共に過ごした0.04の近視が、たったの21秒間で修復されるとに改めて驚かされる。凸レンズ状の角膜の中央部を深く蒸散させ、外周に行くに従い浅く蒸散させるのである。球面をより平面に近づけ、屈曲率を下げて、水晶体の補正範囲に合わせるのだろう。したがって極まれなケースとして、角膜の厚みが足りずに断念せざるおえない場合があるそうだ。事前検査でプローブを眼球に押し当て、角膜の膜厚測定をした理由はここにある。近視ばかりではなく乱視も矯正するのだから、角膜の歪みを取り除き真球面に仕上げるのか、水晶体の歪みを打ち消すように角膜に歪みを形成するのか、いずれかであろう。もちろん遠視も矯正できるらしい。それを検査データをもとに算出した三次元モデルと寸分たがわぬ形状に加工するのに、たった21秒間で、傷ひとつつけることなくやってのけるのである。エキシマレーザーは、具体的には非接触型の角膜整形自由自在機であり、抽象的には”神の光”である。
 照射が終わり、大量の薬液で満たされると、視界は水中になった。室内プールに潜り、天井の水銀灯を見上げたあの光景に似ている。揺らめく手術照明灯と、皺ひとつないのっぺりとしたゴム手袋の指が行き交う様を、僕は水中からの傍観者のように眺めていた。ドクターの声も、機材の音も、棘をそぎ落として穏やかな波長に変換されたかのような錯覚にとらわれた。ふとその時、突如として懐かしい光景が蘇った。海馬の根底にひっそりと眠っていた記憶。人生でもっと喜ばしい記憶。羊水に漂いながら薄膜ごしに垣間見るこの世の光。期待と不安が交錯し、恐怖と喜びに打ち震えながら光のさす方向を目指し、自らの意志で暗闇から這い出たあの時の僕。実際は記憶ではなく想像でしかない。なぜなら僕は逆子だったから。
 めくりあげた角膜の表層・フラップを元通りかぶせ、刷毛のようなものでならしているのが見える。目の周りのリングとテープをはがし、眼尻に沿って流れ出た薬液を看護師がガーゼに受け止めた。施術前と施術後の見え方の違いは現時点では認識できなかった。
 続く左目の施術の時、秒数のカウントを試みたが10を超えたあたりから集中力は拡散しはじめ、ちゃんとカウントしたつもりが15カウントのあたりで21秒が経過した。もちろん息を止めることさえ忘れていたので、同じ憂き目を味わった。左目の施術がなにごともなく終わり、薄目のままスリッパを履いて立ち上がった。廊下の照明が無数の綿毛を春の日差しに輝かせるタンポポのように見えた。これはハロ現象と呼ばれるもので、光に靄(もや)がかかったかのように見えるのである。映画のヒロインがここ一番で美貌をさらけ出すシーンに用いられる紗のかかった画像を大げさにしたようなものだ。今ならもれなく全員美人に見えるはずだが、僕の手を引く看護師のスタイルまでは誤魔化しきれないようだ。わずかに開いた瞼で廊下の行く手に視線を合わせると、天井に灯るタンポポの中心が、やたらとシャープに見えたような気がした。

今日も車検で更新が遅れました。
原稿のストックがヤバいです(笑)

2009年1月27日(火)

■レーシック2日目(7)
 いっけんすると先ほどの手術室と区別がつかない様相だった。白濁した視界のなかに、枕もとの白いタオルが手術照明灯に青白く輝き、乱反射した綿毛の光に包まれていた。看護師の手を取りながら手術台にあおむけに寝そべり、頭の位置を微調整された。ここのドクターもさっきと同じ、穏やかで優しい丸い声だった。もしかしたら接客マニュアルに従っているのかもしれない。クライアントに不安と不快を与えないマニュアルはあってしかるべきと思う。そこに声音の記述まであり、ドクターは日夜発声練習に励んでいる、というのは考え過ぎだろうか。今まで接したドクターはみな同様に保父さんのように語りかけるのである。これが偶然の一致とも考えにくい。
 上下の瞼がドクターの指で開かれリングのようなものをあてがわれたように思う。明言できない理由は、視界がかすむうえに点眼され、目視による確認が困難だったからである。ただ、見開かれた上下の瞼が再び閉じないように、上瞼から額にかけて、下瞼から頬にかけて、医療用テープで固定されたのは間違いない。頭部の固定も眼球の固定もここでは行われなかった気がして、大丈夫だろうかと少し不安になった。さらに点眼された薬液で満たされた眼球の前をピンセットのようなものを持つ手が一瞬横切った。ピンセットの先端が僕の眼球に触れ、フラップをめくりあげたのだ。露わになった角膜の下層をドクターが覗きこむ。視界にさほどの変化はない。エキシマレーザーマシーンが首を振り僕の頭上に覆いかぶさると、先ほどとは模様の異なるUFOが再び眼前に舞い降りた。中央の赤いランプを凝視するよう指示され、僕は必死の覚悟でその一点に集中した。看護師の確認呼称が耳に入る。照射時間21秒!ドクターのスタート合図とともに冷却ファンが高速で回転しスタンガンのような連続スパーク音が僕を一気に緊張させる。視界が滲み赤いランプが揺らめきだした。先ほどより緊張は少なかった。痛みをまったく感じないと知ったためと、慣れが僕をリラックスさせていたのかもしれない。右手のお守りを強く握ることもなく、指先でもてあそんでいた。しかし、予想もしなかった感覚が油断した僕に不意打ちを浴びせたのだった。
 看護師が残りの出力を呼称する。70%!それと同時に僕の嗅覚が異常を感知したのだ。動物細胞を焼く匂い。まるで髪の毛を焼いているかのような悪臭が僕の嗅覚を直撃したのである。眼球に感覚はない。先ほどは自らの知覚に追い込まれたが、今度は慣れることで払拭できた。不覚にも嗅覚とは。予想だにしない不意打ちを食らった僕の体はみるみる硬直しどこからともなく汗が噴き出す。40%!焼かれている。僕の眼球は今煙をあげて燃えている。うわわわわわわ。この匂いを何とかしろ。脱臭ファンでもつけとけよコノヤロー。赤いランプは風にそよぐ水たまりに反射しているかのように揺らめき続けた。レーザー光は全く見えない。それよりこの匂いを。10%!わずか21秒が1分ぐらいに感じる。早く終われぇぇぇぇ!
 照射完了!
まさに奇臭攻撃だった。こんなことなら息を止めてカウントダンでもしておけばよかったとつくづく思った。

車検で更新が遅れました。明日もだけど。

2009年1月26日(月)

 内閣総理大臣(?)、朝青龍明徳殿。あなたが総理大臣ですとツッコミ入れたくなりますね。賞が抜けてるよ。

■レーシック2日目(6)
 手術イメージの説明イラストによると、フラップ作成のレーザーは単純に円弧状の軌跡で照射するのではなく、わずかに横移動しながら往復の軌跡でフラップ全面を埋め尽くすように照射されるようだ。5層から成る角膜の表層を通過したレーザーが層と層の境目をはく離するするよう作用するのだろう。シールを傷つけることなく溶剤を浸透させ糊を溶かして綺麗に剥がすのに似ている。もちろんフラップの円周になる部分に丸く切れ目も入れるはずである。円周上の1箇所は切り離さないまま、そこを蝶番にしてめくるのだが、僕の想像ではその蝶番部分は上瞼側に作られたように思う。つまりフラップをめくる時は下から上に、スカートめくりの要領でめくりあげるようだ。もちろんあくまでも僕の想像だが、実体験とつじつまは合うのである。
 右目のフラップが出来上がり、間髪入れず左目を施術した。術中、盲目の状態になるのは確かで反対側の目は見え続けていた。固定器のカップを押し付ける圧力は結構なもので、人によっては白目の内出血を伴うらしい。眼球を直接押さえつけるのだから、眼球は動かしようもないはずである。だが、同じ手術を毎週2千人もこなせばイレギュラーもあるに違いない。気持ちが悪くなったり、嘔吐したり、失禁したり、絶叫したり、中には気絶したりする人もいるに違いない。全身は拘束されないのだから術中に暴れ出すレアケースもあるだろう。設備は瞬時に非常停止するだろうが、想像するだけで恐ろしい事態だ。左目は右目ほど緊張せずに20秒間を乗り切った。両目とも綺麗に出来上がりましたよ、とドクターに優しく励まされ、薬を点眼された。看護師に支えられながらゆっくりと起き上がると、体全体が重く疲労しているのがわかった。床に目を落としたがスリッパが見つからない。白濁した視界。すべてはすりガラスの向こうのように、明暗の区別ができる程度で物の形までは判別できない状態だった。かろうじてスリッパらしき物が見え、つま先でまさぐりながら履くことができた。看護師の手を取って立ち上がり、薄目のまま自動ドアの向こうの廊下の明るさを感じた。目を見開くとまばたきの時、フラップがめくれあがってしまうのではという勝手な不安があり、顎を上げて薄目のまま、不格好に歩き出した。若い女性の看護師の手のぬくもりを感じる余裕はなかった。
 角をいくつか曲がり第2段階の手術室の前に連れてこられた。エキシマレーザーにて角膜の蒸散成型を行う手術である。同様に自動ドアの前には縦に3個の椅子が並べられていた。僕は前から2列目に腰かけ順番を待った。クライアント同士が声をかわすことはここでは一切ない。みな各々に不安を抱えながらも、その不安を共有することはないのである。だからと言ってうしろめたさがあるわけでもない。痛いですか?不安ですよね?などと声をかけるのも愚問だ。いっそのこと、初めてですか?と声をかけるほうが気が利いたジョークかもしれない。
 前の席の男が立ち上がり手術室に入って行った。僕は看護師に促され、前の椅子の背もたれに両手をつきながら慎重に移動した。あいかわらず低周波のモーター音とスパークする高周波と、ときおりアラームのような電子音が聞こえた。4、5分たらずで、看護師に伴って先ほどの男が出てきた。いよいよ僕の順番が巡ってきた。

つづく
原稿が先行していると更新が楽ちんです。

2009年1月25日(日)

 ぶっちぎりの連載最長記録ですが、今日はちょっとお休みして読書レビューなど。
読んで書けるガレージオーナーってなんの役に立つんでしょうか?

■「マドンナ」 奥田英朗


 空中ブランコですっかり奥田ファンになった私はアマゾンで奥田作品を大人買いしたわけです。以前大人買いした浅田作品を眠らせて。浮気性なのでしょうか?
 短編です。主人公は全て四十路の男です。「四十にして大いに惑う」の帯の通り、どいつもこいつも一皮むけた大人になっちゃってます。一般的に、この歳にして既成概念の覆りが起きるのでしょうか。厄年の由来にも多分に関係があると思います。結果、上司や組織に反抗してみたり、家族と衝突してみたり、恋をしてみたり。悶々と苦しみ悩んで、めでたく初老を迎えるのです。30代後半〜40代の男子諸君はぜひ♪人生のヒントが見つかるかもしれません。

2009年1月24日(土)

 手術描写があります。想像力が豊かで手術とか苦手な方はお気を付け下さい。
冒頭はかなりの自己満足です(笑)

■レーシック2日目(5)
 暗澹たる洞窟の奥底に清水をたたえた泉があった。吹き抜けの天井にぽっかりと開いた穴から、天空の光が無数の絹糸のように降り注ぎ、その静寂な水面をエメラルドの色に染めていた。。。

 僕の背中を後押ししてくれた廊下の光は、閉ざされる自動ドアによってみるみる細くなり、僕の足元で躊躇うことなく断ち切られた。薄暗闇の中、黒い壁で覆われた手術室は無限の広がりを思わせた。手術台の頭部に置かれた白いタオルだけが、青白く冷たい手術照明灯に照らされ浮かび上がっていた。その傍らから覆いかぶさるようにレーザーマシーンが据えられ、鈍色の表皮が闇にてらてらとした光沢を放っていた。赤く点灯するLEDが滲み、まるで魔物の目のようだ。手術台頭部の向こうからは、ドクターの優しい声が聞こえるが、闇に溶けているのか、マシーンの影に潜んでいるのか、その顔は見えない。他に少なくとも2名の看護師がいるようだが、そのうちの一人は同様に闇にまぎれていた。一人の看護師が僕を手術台に導く。僕は仰向けで手術台に身を預けた。眩しさに目を閉じ、冷たく見えた光のぬくもりを額に感じた。胸から下にブランケットを掛けられると、その表面の温かさに抵抗するかのように体の芯に冷たいなにかがざわついた。軽く開いていた足首を交差させ、両脇に虚脱した両手を腹の上で重ねた。右の手のひらと左の手の甲の間に挟んだお守りが微かに脈打っている。
 ドクターの声音は見事なまでのまろやかさと優しさを演出していた。頭の位置を微調整され、指示通りに目を開く。右目の上下の瞼を指で開かれ薬品を点眼され、固定器をあてがわれた。透明な筒状のものがはめ込まれた感覚と視覚は明確にあった。開いた瞼の大きさに合致した固定器は透明なプラスティック製カップだと思う。カップの縁の部分はシリコンのような柔軟な素材で縁どられているのだろう。それを開いた瞼の内側にはめ込み眼球を直接押さえつけて固定するようだ。点眼麻酔のおかげで痛みは全くないが、麻酔なしでは耐えがたいであろうことは想像がつく。
 レーザーマシーンが首を振り僕の眼前を支配した。幼いころ、父にせがんで連れて行ってもらった映画・未知との遭遇をふと思い出した。切り立った岩山に囲まれたカルデラ状の基地に上空から巨大なUFOが舞い降りるシーンは圧倒的なスケールだった。今、僕の視界の全面に広がる、緑色の光と放射状に3方に広がる赤色の光の群は、まるであの時のUFOを傘下から見上げる光景と同じだった。確かにこれも、未知との遭遇に違いない。
 ゆっくりと下降するビームの照射口が裏返しのカップの底に着地し、じわじわと眼球を圧迫した。カップの縁が瞼と眼球の間にめり込み、眼球がカップの中に隆起するようにせり上がる。凝視する緑のランプがかすんで歪み、マシーンの下降が停止した。ドクターの優しい声が始まりを告げる。傍らの看護師が、闇に閉ざされることを予告する。連続するスパーク音とモーターが低く唸る音が僕の鼓動を早め血流が下半身に向かうのがわかる。カップの底の穴から糸のようなレーザー光が照射されているに違いない。が、その光の一筋さえ見えない。次の瞬間、緑のランプも赤のランプも忽然と消えた。予告通り僕の右の視力は今、完全に失われ漆黒の宇宙に投げ出されたかのようだ。目標物を見失い、闇を漂う視線の向きが自覚できない。だが眼球を動かすわけにはいかない。角膜に加工されているという感覚は一切ないが、知覚は物語る。今、僕の目の表面に切り込みを入れているんだ、と脳が余計なことを語る。いたたまれない歯がゆさが全身を貫く。荒くなる呼吸に気づき深く長く呼吸を整える。お守りを握る右手の力が抜けない。深呼吸しなきゃ、深呼吸しなければ。足の指が握られ大腿部に力が入る。背筋が尻の荷重を軽くする。意識の周囲に瞬く星々が現れしびれだした。まずい!深呼吸ぅ〜!
 スパーク音が途絶え、やがて紗のかかった緑と赤のランプが視界に蘇った。綺麗に終わりましたよ、と天の声が耳に届く。徐々に低下する電動ファンの回転の音に合わせるかのように、僕の体は緊張から弛緩へと、まるでピザの上のチーズのように、手術台の上に溶け広がった。右目の照射時間は、わずか20秒足らずの出来事だった。

結構緊張しましたよ。

2009年1月23日(金)

 最近アクセスカウンターが怖くて見れません。

■レーシック2日目(4)
 システムは実に見事な念の入れようだった。前日から繰り返し行われた入念な検査と検診は手術室に向かう直前にも行われ、少なくとも4人のドクターが僕の眼球に施術のOK判定を下したことになる。リスク回避か責任分散か、どちらでも構わないがクライアントにとっては安心感が高まる分ありがたいことだ。しかし、裏を返せばそこまでやる必要があるということであって、これから僕がすることは疑いようもなく重大な出来事なのだ。毎週2千人が受け続けていようが、マスコミに紹介されようが、知人の成功例をいくら聞こうが、ひとりひとりは同じリスクを背負っているのだ。例え確率論で99.99%であろうと、1万人に1人は成功の器からこぼれ落ちるのである。その1人に僕が選ばれないという保障は、どこにもない。明るく美しい環境、最新式の設備群、滞りのないシステム、入念な検査、スタッフの笑顔、ドクターの優しい言葉。これらがいつの間にか、本来忘れてはならない本質の上に塗り重ねられていたことに気づいた。僕の角膜は切られ、めくられ、細胞を飛ばして形を変える、という本質。設備は機械であり、それを操るドクターは人であり、受ける僕も人である、という本質。ばん人の一寸先は平等に闇である、という本質。恐怖と緊張がゆっくりと頭を持ち上げ、僕の指先はお守りをまさぐっていた。
 人の眼球は表面の角膜とその奥の水晶体で像の焦点を眼底の網膜に結び視神経を介して脳に伝達される。角膜は光の屈折の60%を担い、水晶体は厚みを変えてピントを合わせながら残りの40%を屈折させる。水晶体の表面周囲には光量を絞る虹彩があり、中央の採光部、いわゆる瞳孔を伸縮させる。近眼は水晶体が薄くなりきらず、像の焦点を網膜前部に結んでしまうために起きる。遠視はその逆である。また、乱視は角膜や水晶体の球面度に歪みが生じて焦点が多数出現するものである。水晶体が第一のレンズとするならば、角膜は第二のレンズであり、眼鏡やコンタクトレンズは第三のレンズといえよう。そして、レーシックは屈折の60%を受け持つ第二のレンズ、角膜に施される。角膜は5層から形成され、まず第1段階の手術でその表層にレーザーを当て、一部を残して丸く切るのである。これをフラップ[flap](ポケットや封筒などのたれぶた,雨ぶた)といい、ちょうど缶切りで開けた缶の蓋に似ている。続く第2段階の手術でこのフラップをめくり、その下の層にエキシマレーザーを照射して削り、データに基づいた理想の形に成形する。エキシマレーザーは焼き切るのではなく、細胞を蒸散させる特殊なレーザー光らしい。最後にめくりあげたフラップを元通りに戻し、自然吸着を待つのである。医療技術もさることながら、これはレーザー光技術を基軸とした工業技術に依存した医療であることがわかる。簡単に言えば眼医者よりレーザー屋さんの功績が勝るであろうことは想像がつく。
 待合室で頭髪を覆うビニールキャップを被り、麻酔薬を点眼された僕は、迷路のように入り組んだ通路をスタッフの後に続き、フラップ作成の手術室の前に置かれた椅子に座って順番を待った。もちろんこの手術室も同じものがいくつもあり、それぞれの部屋の壁にはナンバーが書かれていて、廊下には同じように順番を待つクライアントが椅子に座っていた。椅子は壁際に3脚が縦に並び、順を追うごとに一つ前に移動してドアに近づく。背もたれの後ろのポケットにはカルテが差し込まれていた。僕の前に座っていたクライアントが手術室の自動ドアの向こうに消え、僕は一番前の椅子にカルテとともに移動した。ストックヤードのコンベアーの上で順番を待つワークのようだ。自動ドアは、壁の下部にある大きな緑色のボタンを足で押して開くようになっていた。私服で受けられるお気軽な日帰り手術ではあるが、手術室の周囲には張りつめた空気と威厳が感じられた。モーターの唸るような音と間隙なくスパークするようなジジジジジという音がどこからともなくかすかに聞こえる。やがて自動ドアが音もなく開き、スタッフに手を取られ介添えされながら同志が出てきた。わずか4分足らずである。盲目に近い状態なのだろうか。痛みはないのだろうか。小学生の予防注射なら呼び止めて聞いていたに違いない。そして、一度閉じた自動ドアが数分間の静寂の後、再び開いて僕は立ち上がった。

いよいよ物語は核心に突入する?

2009年1月22日(木)

 日々是連載地獄也。

■レーシック2日目(3)
 僕の名を含む5名のクライアントが女性スタッフに呼ばれ、パーテーションに区切られた狭い空間に押し込められた。向かい合った長椅子には深緑色のビニール袋が5人分置かれ、各々が自然とそのビニール袋を手に取ってその場に腰かけた。2人と3人に別れて向き合ったせいで僕は目のやり場に困り、手にした袋の中身に視線を落とした。パンフレットのようなものが入っていた。5人のうちの2人は30代の女性で、2人の男性も20代後半から30代半ばだろう。どう見ても僕が最年長のようだ。
 女性スタッフが入口側の丸椅子に座り、今日これからの予定と注意事項の説明をした後、術後の目の保護のために着用するゴーグルが配布された。プラスティック製ゴーグルは淡いブラウンと無色透明のクリアーがあったが、5人全員がブラウンを希望して同時に挙手した時はわずかな苦笑が漂った。あと1時間もしないうちに全員が同じゴーグルを着用してこのビルから有楽町駅前に排出される姿は、お正月に見たTVの鬼ごっこ番組のハンターを思わせ、気恥ずかしい気分だった。次に、添付の5種類の点眼薬の説明があったが、パンフレットに書いてあることなので僕は上の空で聞き流していた。
 こじんまりとしたツアーのように、スタッフの後に列をなした5人が従いエレベーターで13階に下りた。5人分の不安を抱いたまま、未知の体験へと誘う密閉された箱が下降する。誰も目を合わさず誰も声を出さず、息さえひそめるかのような居心地の悪さだった。ここで一発屁でもしようものなら、じわじわとした笑いが込み上げ、やがて止まらなくなるのは必至だろう。まさに一発触発の緊張感が充満していた。
 手術室があるフロアーは人の行き来もなく静粛で清浄だった。エントランスと自動ドアで仕切られたガラス張りの室内に入り、スリッパに履き替え、靴と荷物と上着の類と、そして眼鏡をロッカーにしまうよう指示された。受付カウンターの中には女性が一人、特になにをするでもなく座っていた。僕は一番奥のロッカーに荷物を押し込み、最後に眼鏡を外して手前に置いた。まさに今生の別れである。32年間人生を共にした肉体の一部。僕の目となり僕を支え続けてくれた眼鏡。割ったりふんずけたりしたこともあった。コンタクトに浮気した時もあった。出走直前にフレームが真っ二つに折れて慌ててダッシュボードの予備眼鏡に取り換えて走ったこともあった。でも、どんなに傷つけようとも僕の眼鏡は僕を裏切らず視界を与えて導いてくれた。風に波打つ麦畑も、入道雲と煌めく水面も、紅葉に染まる山も、クリスマスのイルミネーションも。真っ赤に染まる夕日、ちりばめられた星々と柔らかな月。眼鏡クンさよなら、さよなら眼鏡クン、また会う日はもうないけれど。僕は滲む視界のなか、断腸の思いでロッカーの扉を締め、鍵を抜いたのだった。と、想像したのだが、視力0.04の世界で皆に遅れをとらないようにすることに気を取られ、別れを惜しむ暇はなかった。列のしんがりを務めながら廊下を歩き、またもドクターの最終チェックを受けた後、薄暗い待合室の長椅子に座った。そこは上の階とは一変、落ち着いた空間に我々5人しかいなかった。

2009年1月21日(水)

 オッバマうえ〜 ひっなげしの花で〜
おはようございます。瀬戸内・マイケル・ジャクチョーです。フォーッ!


■レーシック2日目(2)
 首から下げた番号札は、頭に日付を付け足せば立派なロット番号になり、まるで生産管理システムのタグのように思えた。そのうちカルテデータが収納されたICチップ内蔵の顔写真付き番号札になるのではないだろうか。ボール紙にパウチされた番号札といい、他のクライアントの前でいちいち姓名を大声で呼ばれ、生年月日を確認され、各検査機が吐き出したレシート大の記録紙がテープでとめられたカルテファイルがくっ付いて回るシステムだけがここでは異様なほど古めかしく思えてならない。今日の14階も昨日の15階と同様、学校の教室の机のように最新の医療機器が3列5行で並び、ボーリング場のように視力検査のレーンが20列ほど連なっていた。そして自動視力測定、眼圧、矯正視力測定までは昨日と同じ検査が繰り返されたのだった。念には念の入れようだ。取り返しのつかない手術の直前だけに、繰り返すことにはなんの疑問も感じなかった。次の待合室は12号室まである個室の検査室にぐるりと囲まれていた。正面のテーブル脇にはラックに差した沢山のカルテがあり、女性スタッフが3人ほどで順に名を読み上げていた。呼ばれたクライアントは指示された番号の検査室に一人づつ入室していた。僕は10号室のドアをノックし返事を待たずにドアを開けた。1坪ほどの検査室は清潔な白い壁とベージュの絨毯が敷かれ、丸椅子と眼球の拡大観察機と上部にモニターがあり、その向こうにはデスクに向いたままの白衣を着た眼科医が背もたれ付きの椅子に腰かけていた。僕は自分のカルテを渡し丸椅子に腰かけた。色白で柔和な顔のところどころに赤い吹き出物が浮き出ていた。歳は30前後だろうか。その医師が浮ついた笑顔と甘ったるい優しい口調で僕を誘ったのだ。もちろん観察機に、である。顎と額をフレームに押し付けると、プリズムの光が眼球を照らし、指示に従い上下左右に眼球を動かした。顔を離し観察機本体が左にスライドすると、僕と医師の間を隔てるものがなくなった。
「はい、今日は問題なく手術できますからね〜♪」
相変わらずの甘く優しい口調に僕は安堵よりもわずかな違和感を覚えた。
 待合室のスタッフにカルテを返し、椅子に座って待つこと10分ほど。今度はスピーカーを介した若い女性の声で僕の名が呼ばれ、2番の会計カウンターに向かった。決行の意思を笑顔の会計嬢に確認された僕は、封筒にしまった現金17万円を父から借りたセカンドバッグから取り出し手渡した。カウンター越しに万札を数える会計嬢を見おろしながら、脳裏に先ほどの医師の甘く優しい声音が蘇った。これは医療ではあるが、そもそも商売なのだ、とその時ふと思ったのだった。

2009年1月20日(火)

 他国の大統領就任を3日前からカウントダウンするアジアの大国の格下感たるや。

■レーシック2日目(1)
 昨日の太陽の位置に膨らみかけた上弦の月が浮いていた。予約はまず施術の日時から決められ、それから事前検診と翌日検診の日が決まったのだった。事前検診は施術の前日でなくても構わないが、栃木からの通いを考え3日間連続のスケジュールとした。その方が余計なことは考えず躊躇なく施術日を迎えらるのも潔くて都合がいい。年末に予約の電話をして、キャンペーン期間中で最も直近の日程が今日のこの時間だった。今思えばすべては勢いで決まったようなものだ。有楽町駅は間もなく訪れる帰宅ラッシュを大口を開けて待ち構えていた。あと1時間もすれば排水溝がにわか雨の濁流を飲み込むように、帰宅を急ぐサラリーマンとOL達を飲み込むのだろう。ちょうど太陽が地平線に沈む時刻だった。振り返ったところで赤く染まった西の空は駅舎に阻まれて見ることはできないが、正面に見上げた丸井のビルはまだ青い東の空を背景にしての上層階だけが夕陽に染まっていた。ビルの後ろには、僕の幸運を祈ってくれているかのように、青白い月が僕をじっと見ていた。僕はポケットの中のお守りを一度きつく握りしめビルに向かって歩き出した。
 指定された14階はいっけんすると昨日の15階と見間違えるほど似ていた。受付カウンターの女性に診察券を渡し、かわりに受け取った番号札を首からぶら下げた。216番。今日の最初のクライアントが1番なのだろう。年末年始も休まず営業するこのクリニックの営業時間が、サラリーマンの定時を待たずして締め切るわけがない。だとするとこの時刻が最終枠ではなく、僕の後にも番号札は連なるのである。17万円ぽっきりのキャンペーン期間中とはいえ平日の今日、ラインに流す処理人数は250人を超えるかもしれない。ここにもまた100脚近い待合室があり、夕闇迫る都会の大パノラマがあった。ヘッドライトの白い光とテールランプの赤い光が、歯抜けした窓明かりが灯るビルの狭間に連なっていた。眼下の有楽町駅から発車した電車が1分も待たずして巨大な東京駅に滑り込み、その背後から新幹線のぞみ号がほぼ同じ速度で追っていた。その都会のめまぐるしい営みを眺めていたら、ここの処理能力もさほど驚くべきでものではないように思えてきた。先ほどからひっきりなしに呼び出される整理番号は山手線と京浜東北線の発車本数を数えるかの様に刻々とカウントアップされ、やがて僕の番号が呼ばれたのだった。


つづく

2009年1月19日(月)

 今日で術後約2週間が経ちます。
これから術後1週間検診に行ってきます。

 有楽町駅前の丸井の前に11:00頃、都会の雑踏に翻弄されながら押し流される枯葉のように吐き出され、踏みつぶされないように逃げまどい、行き場を見失い若干キョドりながら舞い降りますんで、こんなか弱い田舎者の私を近場に勤務のどなたか受け止めてくれませんか?一緒にコーヒーでも飲みましょーよー♪もれなく700円のコーヒーおごりますから(笑)

てことで、更新できません。ごめんちゃい。

2009年1月18日(日)

■レーシック1日目(8)
 かすむ視界のせいか、心も体もぼんやりとしたまま、廊下に描かれた進路を示す矢印に沿って進むと次のエリアに到着した。ここも50脚ほどの椅子が並べられた待合室のようになっていて、周囲の3方は連なる個室の診察室に囲まれていた。実際の経過時間よりずいぶん昔に思えるスタート地点の待合室で、偶然出会い一方的に声をかけられ返事をし損ねた全日本ドライバーの知人にどういうわけかここで追いついていた。僕は彼の隣の椅子に腰かけ、遅ればせながらの挨拶を返した。実際には1時間も経過していないだろう。もうこれで何個目の検査なのだろうか。人間は視界がかすむと記憶もかすむのかもしれない。角膜の厚さを測定した部屋から廊下を歩き角をひとつ曲がった明るい部屋だった。歩いてきた方向と距離からして、このビルのフロアーをそろそろ一周したように思う。もしそうならば、この部屋を出て角をひとつ曲れば、振り出しの待合室とは反対側の受付カウンターの前に出るに違いない。まるでテーマパークのアトラクションのトンネルをナースのコスチュームのガイドに導かれてぐるり巡ったかのようだ。
 隣に座る彼と、このクリニックに来た経緯と現在の心境と今後のスケジュールについて話した記憶がある。こんなところで期せずして出会い、いきなり車の話をするほど二人とも狂ってはいなかった。彼は僕とここで出会う直前に、携帯で僕の掲示板を覗き、このビルの写真を見たと言った。僕が一杯のコーヒーが700円もするカフェから投稿した画像のことだ。良く似たビルだと思った矢先、現実の僕がのこのこ現れたらしい。僕は彼のその時の目線を想像し、ひょっこり現れたマヌケな僕に思わず苦笑してしまった。後で知ったのだが、カフェから遡ること数分、僕が有楽町駅前でビルの狭間の太陽に携帯を向けシャッターを押したとき、別の全日本ドライバーが偶然近くにいたらしい。日本は想像以上に狭いのかもしれない。
 やがて彼の名が呼ばれひとつの検査室に入っていった。僕は天井から吊るされたテレビを眺めていた。そこには名画のヒロインのように紗がかかったタモリがいた。
 事前検診ステージの最後の部屋にはボスキャラの眼科医がいた。ゲームなら蓄えた攻撃力と守備力とアイテムを駆使して倒さなければ次のステージに進めないが、レーシックでは「問題ありません」の一言であっさり次のステージに進めたのである。カルテのデーターを眺め、僕の眼球を眺め、施術可能のお墨付きを頂いた。長年閉ざされた裸眼への門扉が今開いたのである。
 真昼間の都会の喧騒に吐き出された僕はその眩しさに眼鏡の下の目を細めた。明日の夜、ここに再び舞い降りた僕は夜景に彩られたこのビル群を裸眼で眺めることになる。失敗への恐れは期待への高揚に押し流され、微塵も感じることはなかった。それにしても、ひらきっぱなしの瞳孔は不便なことこの上ない。携帯の文字がかろうじて読めるようになったのは永田町から乗り換えた田園都市線の車内だった。

いよいよ明日から2日目!手術の全貌が明らかになる!
つづく

2009年1月17日(土)

 本日はJAFスポーツ様に隠れ家的ガレージにお越しいただいての取材のため連載はお休みさせていただきます。森田選手のチャンピオンインタービューなんですけど、心配だからおとーさんも同席です。

 足クサ川柳の入選作品20作品が発表になりました。
私の傑作はいくら探してもないみたいなので、もう興味はなくなりました。

2009年1月16日(金)

■レーシック1日目(7)
 次に案内された部屋は薄暗闇だった。先ほどの女性スタッフが次の女性スタッフに僕と僕のカルテを引き継ぎ、去っていった。この部屋にも同じ検査機がずらりと並んでいた。白衣を着たスタッフといい、検査機といい、雰囲気は一変、眼科の様相である。視界に入ったモニターにはせわしなく微動するクライアントの眼球がまるで水晶のような透明度で映し出されていた。瞳の中央の黒い瞳孔とそこから放射状に広がる茶色いカーテンのようなひだが25インチほどのモニター画面全面にくっきりと見える。椅子に座り瞳孔を開く薬を点眼され、明るいところでは眩しく、近くが見えにくくなります、と警告された。検査機に顔を預け瞼を見開いて中央に輝く緑のLEDを凝視する。その周囲に配列された白色の光源が僕の眼球の奥底を照らしているのだろう。目がジンジンとしみるのは先ほどの薬のせいだろうか。僕が思わずまばたきをしてしまうと、我慢して下さいとたしなめられた。どうも眼球写真を撮っているようで、2度ほどシャッターチャンスを逃したらしい。
 他にもプリズムに屈折した縦長の光源を眼球の左右から当て観察されたように思う。この薄暗い検査室において3台の検査機を覗きこんだと思うのだが、正直内容までは記憶にない。開いた瞳孔に視界がかすみながら次の部屋に案内されるとそこは待合室のようだった。天井の照明がやけに尖って見えた。
 待合の椅子は50脚ほどで半分は埋まっていた。やがて僕の名を含む3名の名が呼ばれ周囲にいくつかあるパーテーションスペースの一室に案内された。丸椅子に座るとパンフレットのようなものを渡され、女性スタッフが術後の注意事項を音読した。一週間酒とスポーツを断ち1ヶ月はプールも禁止。呼ばれたのが男ばかり3人なのは、性別により注意事項が異なるためだろう。各項目ごとに了解を確認され、そのたびに3人の男子は黙って頷くだけだった。激しい運動にアレも含まれるのだろうか、と思ったのは僕だけではないはずだが、女性スタッフには聞きにくいものだ。つまりは激しくなければいいのだなと勝手に大人の判断をするしかなかった。
 一度待合の椅子に戻り、再び名を呼ばれ、カーテンで仕切られたベッドに横たわる。女医の風格の中年女性が点眼したのは麻酔である。瞼を見開き天井の一点を凝視するその眼球に、角膜の厚さを測定するプローブが直接押し当てられたのだった。片玉で5箇所程のサンプリングをし、そのたびピッという電子音が耳に届く。眼球にプローブが直接触れる痛みは麻酔薬のおかげでないが、触れている感覚はある。数年前、眼球に刺さった小さな金属片の除去で不覚にも気を失ったという記憶が蘇り、僕の鼓動は激しくなり、呼吸は深くなった。検査機が測定のたびに発するピッっという電子音が心なしか遠くに聞こえたのだった


さすがに長いな・・・読者が減ったりして(苦笑)
つづく

2009年1月15日(木)

■レーシック1日目(6)
 視力検査用にレンズが抜き差しできる眼鏡は相変わらずの滑稽なデザインだった。黒く太い縁の丸メガネは本家の鴨居に掲げらてたセピア色の写真の中で胸を張る軍服姿のご先祖様か、加藤茶の瓶底眼鏡でしか見たことがない。この検査用眼鏡をかければどんな美人もカトちゃんぺになれる滑稽さなのだが、僕はもう慣れた。いや、ここに来る誰もが慣れているに違いなく、そして金輪際の別れを告げるのである。だからと言って感慨深くもない。
 僕の裸眼視力は0.04だった。この視力だと正面の壁に灯る検査盤面は用をなさない。スタッフが嫌味なほど大きなCの字が書かれたカードを手に持ち、向きを変えながら徐々に後退して見えなくなった距離で視力を判定するのである。この特別な検査方法を初めて同級生の前で公開したときはちょっとした羞恥プレイだった。僕の少年期は結構シャイだったのだ。
 レンズの抜き差しを繰り返し、差し込んだレンズを回転させて乱視も測定した。ついでに細かな字の書かれた小冊子を目の前に開き、うすうす感づいてはいたが老眼であることも認識させられた。単なる点線にしか見えない最も小さな文字列を指差し、これが読めたら米粒に書いた文字も読めるだろ、とつい負け惜しみを口にして女性スタッフの失笑をかった。和んだついでに僕は気になることを尋ねてみた。
「ここは全部で200人ぐらい働いているのですか?」
「全部ですか?」
「そう、受付もスタッフも事務もドクターも、全部」
「だと、200人じゃきかないですね」
僕は予想通りの答えに驚くふりをして嘆息を漏らす。勝手に250人ぐらいだと決めつけた。
「一日に何人ぐらい診るの?」
「平日は200人以上で土日は400人以上です。今日はすいてるほうです」
今度は予想をはるかに超える処理能力に本気で嘆息を漏らした。まさにレーシック大量生産、ここは裸眼人の量産ラインだった。瞬時に脳内電卓のキーを叩く。週に約2000人。ひとり17万円。週の売上3億4千万円。ゼロの数を再確認して、やはり3億4千万円。月の売上14億円。年商170億円。月に8千人。年に10万人。確かここ以外に3拠点、大阪、名古屋、福岡だから、毎年40万人の裸眼人が生まれていることになる。大規模イメージを具現化する日本人の常識として、いちおう、東京ドームにして8杯分・・・。良くわからないが、とにかく恐ろしい速度で裸眼人が増殖していることだけは確かだった。
 僕は急に肩の力が抜け、これも日本人の慣習として、いちおう、安堵した。そっか、みんなやってるんだぁ。

つづく

2009年1月14日(水)

 次男の中学入学に先立ち自転車を買いました。
もちろんブリヂストン様です!!
今年もよろしくお願い申し上げますm(__)m

■レーシック1日目(5)
 生年月日を確認された僕は女性スタッフに導かれて検査室に入り、目の前に広がる様子に驚かされた。3種類の検査機とそれぞれのモニターと3個の丸椅子がセットになったひとつのブースが3列に並び、その総数は15ブースにもおよんだからだ。まるで何かの学校の実習室のようである。同時に15人を流せる設備規模なのだろう。待合室に椅子が100脚以上あるのも頷けた。今は平日の午前だからであろうか、ところどころのブースはクライアントとスタッフで埋まっていたが半分以上が空席のままだった。僕はそのうちの一つに案内され3コ並ぶ丸椅子の一番左側に座るよう促された。検査機の向こう側にはスタッフが座り、モニターの操作をした後、まずは視力の検査をします、と告げた。僕は目の前のマシンに顎と額を預け眼前のマーカーを凝視した。草原に浮かぶ熱気球の像が勝手に焦点を結ぶ自動視力測定は、左右を眼鏡のありなしで行われた。右隣の丸椅子にスライドし、異なる検査機に同じように顔を押し付ける。なにを測定したかは忘れたのか、説明がなかったのか。さらに右隣にスライドしまた違う検査機に顔を押し付けた。マーカーを凝視して見開いた眼球に空気銃が放たれ、全身がびくりと反応する。眼圧検査が終わると、スタッフが立ち上がり、隣のゾーンに案内された。Cの字を言い当てる視力検査ゾーンは見るからに遠近法のまま、遥か彼方にまでずらりと連なっていた。25列はあるだろうか。とにかく想像を超える膨大な処理能力であることは容易に想像がついた。僕はまるで流れ作業に流される一つの部品であって、いままさにベルトコンベアーに乗りいくつもの検査ブースと加工ブースを、笑顔の女性オペレーターに導かれるまま流れている。クリニックであることに間違いはないが、レーシック処理工場というイメージは誰もが持つに違いない。連なる視力検査レーンのほぼ中央、第12レーンに腰かけて左右を見渡すと、どこかボーリング場の景色に似ているなと思った。ここで入念な近視と乱視と遠視の検査が行われたのだった。

つづく

2009年1月13日(火)

 今朝、歯ブラシが凍ってました。
我が家はどんな断熱構造なんでしょ?

■レーシック1日目(4)
 外の光を存分に取り込んだ広大な待合室は、まるで小春日和のような暖かさだった。整然と並べられた100脚以上の椅子の窓際の最前列に座りながら、僕はセーターをロッカーに入れてきて正解だと思った。正面の壁に解放された入口の向こうはおそらくこれから入るであろう検査室で、同じ検査機がいくつも並んでいるように見える。その入口の隣には大型のモニターが掲げられ、レーシック施術の概要を説明したアニメーションと注意事項がエンドレスで放映されていた。振り返ると同じ立場のクライアントが40名ほど椅子に座っていた。20代から30代の女性が若干多いだろうか。子連れの女性や40代と思しき女性の姿もあった。当然のことながらほとんどが眼鏡をかけている。コンタクト常用者も数日前から使用を禁止されているはずである。彼らもまた僕と同じように誰かの実体験を聞き、不安をかなぐり捨て、希望にすがりながらここにいるのだろう。検査室の入口ではひっきりなしにナース服の女性スタッフが出てきてカルテの名を呼び、そのたび待合室のクライアントの一人が検査室に導かれている。僕は読みかけの小説をポケットから取り出し読書をはじめた。近視が矯正されれば遠視がきつくなるらしい。しばらくはこの続きも読めないかもしれないと思った。
 読書中の僕の目の前に人の立つ気配を感じ顔をあげると、そこには見知った男性が立っていた。おはようございますと笑顔で声をかけられ、僕があっけにとられて言葉を失っている間にまた検査室に引き返してしまった。彼もまた全日本ドライバーの一人である。世の中が狭いのかジムカーナ界が広いのか、もしかしたらレーシック界が広いのではないかと錯覚してしまいそうだ。実際、ドライバーの中にも体験者はいるのである。それにしても同日同時刻とは、偶然にもほどがある。現時点では僕のレーシック体験は極秘ミッションだった。が、あっけなく穴があいたようだ。どの道HPで告白するつもりだったが・・・万が一失敗したらそれも出来ないだろう。そういう危惧がないわけではなかった。
 やがて僕の氏名が、一人の若い女性スタッフの声で呼ばれた。閉じた本をポケットにしまいながら、僕はゆっくりと立ち上がったのだった。


このペースだと連載最長記録かも(笑)

つづく

2009年1月12日(月)

■レーシック1日目(3)
 このクリニックとレーシックの概要を知ったのは約1年前になる。ある有名サイトの管理人がここで施術してサイトの日記に書いたのだ。最終決断するまでのリスクとメリットの葛藤はあったものの、いざやってしまえばあまりに簡単にことが進んだことに驚かされた。僕もいつかやってみるか。そう思い続けて1年。ついに身近なお客様の中で実体験者が現れたのだった。しかも同じクリニックでと聞いて、僕はがぜん身を乗り出した。12月28日に彼が持ってきてくれたパンフレットに目を通し、話を半分も聞かぬうち、僕は予約の電話をその場で掛けた。女性オペレーターの案内に即答しながら、極めて事務的に予約が成立し注意事項をメモに取る。1月7日施術、前後1日検診、総額17万円。まだその時は家族さえ知らないというのに、僕の頭の中では、真夏の太陽の下でサングラスをかけた僕がいたのだった。
 エレベーターを降りた僕は一度トイレに寄ってから受付に向かった。汗ばんだ手を洗い流したかっただけかもしれない。開け放たれた入口の向こうに受付カウンターと一人の受付嬢の姿が見えたが、それはほんの一部分にすぎなかった。20mほどのカウンターに20名ほどの受付嬢が待ち構えたいたのだ。よりどりみどりの状況ではあるが、僕は正面の受付嬢に氏名と予約時間を告げた。電話で確かにメモしたにも関わらず身分を証明する物を持ってくるのを忘れたのには愕然としたが、キャッシュカードを2枚提示することで事なきを得た。渡された番号札を首から下げ荷物をロッカーに押し込み、パーテーションで区切られた待合室に入る。外壁面が総ガラス張りの向こうには、都会のくすんだ灰色と空の鮮やかな青のパノラマが広がっていた。待合室の椅子の約3割ほどが僕と同じ目的と決意と不安を抱えたクライアントで埋まっていた。総座席数は100脚を超えていたのだった。

後に想像を超えるその規模があきらかになる!

つづく

2009年1月11日(日)

■レーシック第1日目(2)
 有楽町駅前の白く美しいビルの自動ドアが背後で閉ざされ、尾を引くけん騒が断ち切られた。冷たい大理石の床を靴がカツカツと鳴らし反響していた。僕は6台あるエレベーターの1つに乗り込み15階のボタンを押した。滑るように到着した15階のフロアーはまるで真新しいホテルのように清潔で、外壁面のカーテンウォールから差し込む日の光が満ちていた。制服を着た警備員が一人立っている。僕とすれ違いにナース服を着た若い女がエレベーターに乗り込んでいった。他にも私服の人たちが何人かいて、みな同じ深緑色のビニール袋を手に持っていた。僕と同じ患者なのだろう。いや、正確には病気ではないので患者とは呼べないのではないか。客というのもおかしい。依頼人、クライアントと呼ばれるのが最も意味広く正しい。肉体の欠点を改善するために改造を依頼する。美容整形や歯列矯正に類する視力回復手術はやはり肉体の改造なのだと思う。親から自然と授かった肉体が何かのルールに従い劣化し、それを科学の力で復元する肉体改造なのだ。
 中学一年生になってから、黒板の字やテレビが見えにくくなった。学期の途中で眼鏡をかけるのは多感な少年には勇気がいることだったので、夏休みを待って商店街にある父の行きつけの眼鏡屋に行った。家族の中で最後の生き残りだった僕の目は、受け継がれた遺伝と生活習慣から定められた必然に打ち勝つことができず屈服した。父が眼鏡屋の店主に、倅もとうとうお世話になることになっちまった、と軽々しく口にしたのを、僕は憂鬱な気持ちで陳列棚に並んだフレームを眺めながら聞いた記憶がある。あの時ほど2学期が始まる前に学校が爆発でもしてなくなればいいと思ったことはない。その後の数年間にわたり、毎年のようにレンズは厚みを増し、レンズ越しに見る鏡の中の僕の眼は小さくなった。やがて眼鏡は必需品から肉体の一部へと昇華して、就職すしてからは2度のコンタクト歴も経験し、今日32回目の正月を迎えた。生まれて44年間、そのうちの32年間を共に過ごした第二の目。この決別を決意することになんの躊躇もなかった。

つづく
なげlぇーよ!
まぁ、自分への記念ですから。

2009年1月10日(土)

■1日目
 巨大な駅があんぐりと口を開けたそこから、僕も人波みに押し流されるように吐き出された。大河が海に流れ込み三角州を築くように、人々は扇状に放たれるがその歩みを緩めることはなかった。行くべき方向が定まらない僕は、流れに抗うように立ち止まり空を見上げた。ビルとビルのほんのわずかな隙間から差し込む午前の太陽がメガネ越しに僕の目を射るが、都会の太陽はさほど眩しさを感じなかった。その太陽に携帯カメラを向けたところで、誰ひとりとして気にするものはいないだろう。ガラスの壁面が大きな曲線でくの字に曲がった、太陽よりも高いビルが僕の右肩をかすめて影を落とす。見上げるほどの高さに丸井のロゴが掲げられているそのビルはHPの写真と同じだった。日本の中心、東京駅からわずかひと駅の有楽町駅。その駅の半分を影で飲み込む巨塔の奥に、僕はデパートの入口とは違う別の入口を確認した。約束の時間まではまだ早すぎる。すぐそばのカフェに入りありきたりなコーヒーを飲みながらさっき撮った写真を掲示板に投稿した。都会の太陽は窮屈そうだね。久しぶりに都会の喧騒に立った僕の気持ちを代弁するかのようなコメントを残したのだった。特別美味くもないコーヒー代として支払った700円の8割は僕が束の間、この場所に存在を許された代償なのだろう。僕はさっさと席を立ち
、さっき確認した巨塔の入口に向かい歩きはじめたのだった。


すんません!今日はここまで〜
て、なにも進んでませんが・・・・

つづく

2009年1月9日(金)

 帰ってきました!
全裸です。眼が。裸眼です。
そして、老眼です。
車の運転がちと不安・・・。
詳細は後日、ということで。
ご心配いただいた皆様、エグゼは無事です。
ありがとうございます。

2009年1月8日(木)

 えーとね。
左目GOOD♪
右目が、あれれ??

2009年1月7日(水)

 瞳にレーザービーム!
目が、目がぁぁっぁぁぁ!!(ムスカ大佐)
レーシック手術にドキドキ、悶絶して気絶寸前。

2009年1月6日(火)

 わけあってフライングの更新です。
人に言えない自分の事情で8日まで3日間も留守にします。
ぞんぶんに心配して下さい!
その間、速報掲示板元気なら更新します。
しかも、画像添付ができるようにグレート・マジンガーしました。
仮面ライダーならV3です。
そこの君、これで寂しくないよね♪さぁ涙をお拭き。

もし私に万が一のことがあったら・・・
これが、このサイトの、最後の、ううっ、更新に、なり、ます。
そして、プロバイダーから強制撤去されるまで、延々とこのネタがネットの大海原を漂流し続けることでしょう。
来る日も来る日もこのまんま・・・
毎日がスペシャル、毎日がスペシャル♪
皆さんで合唱してください。合掌しなくていいから。



これは私からのささやかなプレゼントです。
シャイな男子は携帯に保存してご利用いただければ幸いです。






ちょっと内気な君に代わって、気になるあの子へ画像で告白!
う〜ん、おっしゃれ〜♪(>o<);


嫌われても責任持ちません。
むしろ私がたったいま嫌われたかもしれません。ごふっ(吐血)
こんなシモをかすめたネタが虚しく漂流しないことを切に願います。
それでは皆さんごきげんよう。

2009年1月5日(月)

 仕事始めの今日、いかがお過ごしですか。家にいるより快適だったりしてませんか。ですよねぇ。現代人はのんびり出来ないように洗脳されているのです。のんびりしているとなにか不安だったり、落ち着かなかったり、つまらなかったり。せっかくのお休みにキャンプや温泉に行ってどっと疲れて帰ってきて最初の一言が、やっぱ家が一番♪とかね。便利になりすぎて退屈なんですよ。退屈がストレスになることもあるのです。さぁ、今日から時間に追われてプレッシャーに圧迫されながらその快感に身悶えて生き生きと仕事しましょう。前向きに考えてみました。お疲れ様です。

 朝からジョイ本でウィンドーショッピングしてきました。耐荷重200kgの高価な台車にあこがれたけれど諦めたり、ケルヒャーの高圧洗浄機に夢を馳せながらもコイン洗車なら1回300円だしと自分を納得させたり。アングルとフラットバーと耐荷重150kgの台車を2台買ってきました。なかばやっつけ的な話題ですみません。

2009年1月4日(日)

 明日からお仕事の方も多いことでしょう。コタツでゴロゴロしながら午前中からビール飲んでお笑い番組見たり、駅伝の7区で居眠りして目が覚めたら10区で、退屈で夜の10時には布団に入る、そういうだらだらした生活とも今日でお別れです。明日からは夜が明けたばかりの冷たい時間に布団をはぎ取られ、ネクタイ締めて通勤ラッシュにもまれながら出勤して面白くない社長の年頭挨拶を聞かされ、昼休みには経理課の彼女に別れを告げられるでしょう。なんでだよ。俺の人生は今日で終わりなんだと思って、今日を精一杯生きて下さい。だからなんでだよ。

 肩こりにお悩みの諸兄に朗報です。
実はここ数年ひどい肩こりに悩まされていまして、特に朝起きたときなんか右手がしびれて動かないぐらいひどかったのです。子供にもらった肩たたき券を追加発注して毎日揉んでもらっていたのです。揉んでもらうとたちまち熱き血潮が堰を決壊したが如く私のこの右手にとうとうと押し寄せるのがわかる程なのです。肩こり解消の首輪もあれこれ試しましたがどれもはっきりとした効果は体感できませんでした。強いて言えばピップ!マグネループぐらいでしょうか。しかし私の肩こりは1億ガウスでも足りないぐらいです。ところがこのたびある物を変えたらあっけなく解消したのです。朝起きても右手のしびれはなく、肩こりもありません。夕方頃にまたひどくなることありません。今まで3年間ほど毎日苦しんだ肩こりとの闘いの日々が嘘のようです。勝利したのです。これはまさに奇跡です。


枕を低反発からそばがら100%に変えただけなんですけどね。


高さが高め、硬さが硬め、Good!
私の場合これがターニングポイントだったようです。
横向きに寝る癖があるので、柔らかくてペチャンコ枕だと、下になった肩に負担がかかるようです。同じようなことでお悩みの諸兄はぜひお試しあれ。硬くて高い枕は品数も少ないですが、今夜で永遠の眠りにつくと思って精一杯捜して見てください。たまには役立つ情報をお届けしました。

2009年1月3日(土)

 今日でお正月三が日も終わりです。
箱根駅伝の往路は区間新記録が続々と出たようです。最終区の5区山登りを見ましたが、東洋大のルーキー1年生が8人抜きして1位早稲田とのデッドヒートを制し、見事往路初優勝を果たしました。山の神の記録を塗り替えた神童・神の子、などと実況されていました。もちろん私も初泣きですょ。今日も見なくっちゃ。


 世界のGoogleでエグゼスポーツを検索すると



ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おおおおおおおおおおおおおおおおおおお!

世界のGoogle様に

やっぱエグゼスポーツといえばジムカーナでしょ。オフコース!

これは全世界に認められたと言っても過言ではない!
一富士二鷹三なすびについで、四エグゼといえばジムカーナを加える勢いです。
七福神の仲間入りを果たす日もそう遠くないかもしれません。

てことはですよ
逆にジムカーナで検索すると・・・



出ないよ・・・
そんな世の中甘くないよね。
さすがG6だよ。


ならば、世界のGoogleがダメならJAPANのYahoo!はどうだ!?




アルファ ジムカーナ

今年どころか一生よろしくお願いいたしますm(__)m
(さいたま市に向かって拝みながら)

2009年1月2日(金)

泥棒を捕らえてから縄をなう。
正月が来てから年賀状を印刷する。




330枚


毎年恒例の小フォント長文駄文びっしりのうっとおしい年賀状です。
よろしくお願いします。

2009年1月1日(木)

あけましておめでとうございます。

2009年元旦♪

今年もよろしくお願い申し上げます






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2009年1月ぶん