2006年8月31日(木)

 「ちょいとそこのタバコ売りの麗しきおじょーさん、
  私にこのアイスをひとつ売ってくださいな」
と声をかけたら予想以上におおはしゃぎした近所のタバコ屋のばぁさん。
女性はいくつになってもかわいらしいですな。

今日で8月も終わり。短い夏でした。


■ジョハリの4つの窓。
自己の既知と未知、自分に対する他人の既知と未知、これら2×2の行列に配置された自己(性質や心理や才能)に関する層別図である。ジョセフとハリーが提唱したらしい。テリーとドリーではない。
自分自身が
知ってる 知らない
他人が 知ってる 開放の窓 盲目の窓
知らない 秘密の窓 未知の窓
この4つの窓はどうやら大きさを変えることができるらしい。
自己開示(自分を晒す)をすれば開放の窓は縦に長く、フィードバック(人の意見を引き出す)をすれば横に長くなるという。
さらに人は「開放の窓」が大きいほうが、簡単に言えば”楽”に生きられるそうだ。
自分自身が
知ってる 知らない
他人が 知ってる 開放の窓 盲目の窓
知らない 秘密の窓 未知の窓
このほうがより楽ということだ。

なぜこのようなことを考えたかというと、
昨日ディーラーに部品を取りに行って伝票にサインをしているとき、ディーラーのいつもの担当の人に、

「宿題終わりましたか?」と突然尋ねられたから・・・・。

吐血ですよ。
この人に対しては秘密の窓だと思ってたことが実は開放の窓だったって、盲目の窓を突きつけられたんですもの。ややこしいですか?
青銅の壷で後頭部を殴打されたかのような衝撃だったわけですよ。
ペン先が一瞬固まりましたもの。

なんででしょうかね。ジムカーナ関係者の方に、例え初対面の方でも、HP見てますよと言われてインパクトを受けたことはないんですけど、意外な人に突然言われるとトルク50kgmぐらいのインパクトありますよねぇ。スーパーのレジのオバサンとかぜんぜん知らない人にっていうのもインパクトありますが、中途半端に顔見知りの人のほうがもっとインパクトありますよね。授業参観のとき息子の担任とかに、「おとーさん、目を描いた眼帯、あれ爆笑でしたよ」とか突然言われたらグランド10周ぐらい走れそうですもの。

 なにがいいたいかというと、ジョハリの窓の他人とは人によって違うということ。あの人には開放しても、この人には秘密にしたい部分があるってことで、相手によって自己の使い分けをしてるんだなぁと思ったわけです。ということは、毎日ココに書いている行為はいっけん自己開示に似ていますが、実は同時に秘密の窓もどんどん大きくなっているんじゃないかと。確かにココにかけない私の秘密っていうのもどんどん私の中では明確になっていますし。逆に匿名性や閲覧制限を盾にやりすぎと思えるほど自己開示している人もいますが、それも生身の世界の親兄弟友人知人や特定の人には知られたくないことでしょうから実は秘密の窓を自らどんどん広げてることなんでしょうね。秘密だからこそ匿名って、確かに分りやすい繋がりです。閲覧オンリーの人だってあんなとこやこんなとこを毎日見ているなんて人に知られたくないとか秘密の窓全開ですもの。ネットってジョハリの窓枠を知らないうちに簡単に移動させますからね、怖いです。

まとまったんだかまとまらないんだか。。。

2006年8月30日(水)

 もはや息子の夏休みの宿題は息子だけのものではなくなっていた。それは家族の絆を築くツールと化していた。3個だと思っていた未完の宿題がフタを開けてみれば10個全てだったのには言葉も失う。この近年まれに見れる家族の危機的状況を「828の大混乱」と名づけ戒めのため後世に残そうとさえ思う。
 帰宅して子供部屋を覗くと、前の晩は2時間しか寝ていない息子が鼻の穴をおっ広げて次の課題に取り掛かっていた。残りはなにがあるのかと尋ねると、数学の「小町算」についての研究と英語のスピーチ原稿だという。小町算とは1,2,3,4,5,6,7,8,9の数字の順番を変えることなく、間に+−×÷の符号を入れて答を100や99や1〜10に導く数学パズルである。私は食事を一気に飲み込み再び職場に戻ってパソコンでウィキペディア様に教えを乞うた。プリントアウトして帰宅し息子に渡してから、次は強敵英語のスピーチ原稿に着手。今の息子の壊滅的な英語力では可能性0ppmの難題なのである。わかりやすく例えるなら、君(これを読んで頂いている読者様)はあと3時間で進化論の骨子と論点をまとめそれを証明する身の回りの事象に関する分析と考察を原稿用紙200枚にスワヒリ語で記せ、というのに限りなく等しい。駅前留学などしている暇はない。まずはビールを1本飲んで順調に日本語スピーチを私が語り、妻が書記する。簡単なものだ。次に英訳。さらにビールをもう1本開けて、先ほどの原稿を英語で語る私。まるで欧米人が憑依したかと思われるほど、酔っ払いの英語はペラペラなのである。ニュアンスとイメージとボディーランゲージを重視した熱いスピーチに茶の間が沸いた。この心のスピーチが聞き取れないアメリカ人はアメリカン人なんかやめちまえ!というい勢いである。饒舌なLA帰りのSatoshiのスピーチを妻が辞書片手に英語で書記する。at と to と in と by の使い方などこの際気にするなかれ。あくまでイメージ重視の文法軽視。酔っているから簡単なものだ。とーさんなんか昔は夜の駅前留学でフィリピン語やタイ語もしゃべれたんだぞ、ってなもんである。この原稿を息子が暗号か符号でも模写するかのように書き写す。やがて茶の間は三位一体の見事な連携と課題全制覇の喜びに歓喜した0時過ぎ。あとは先生の赤ペン修正にゆだねようぞ、と就寝。
息子よ、良くがんばった。とーさんは思うぞ。やっぱり習字の課題は「徹夜」か「宿題」のほうが小粋でよかったんじゃないのか。

2006年8月29日(火)

 謎のフライング更新です。
恐縮しながら担任の先生に案内され放課後の教室に向かう。見かける生徒たちはみなクラブ活動に勤しんでいた。西日の当たる校庭ではサッカー部、野球部が元気な声を出している。中庭ではバトミントン部、体育館からは剣道部の勇ましい声が聞こえ、遠くからブラスバンド部のラッパの音も聞こえどこかなつかしく思えた。息子が所属するサッカー部の先生がクラブに出ないでいまさら宿題やるとは何事だと怒ったそうだが担任が説得してくれてなんとかクラブを休めるよう丸くおさめてくれたらしい。息子の怠慢とはいえ話を聞くたび顔から火が噴きそうになり何度となく頭を下げながら先生に続いて階段を登る。3階に上がると生徒の姿は見かけなくなった。窓越しに見える各教室の中にも誰もいない、静まり返った3階。突き当たりひとつ手前の1年4組のドアーの前で先生が立ち止まり、こちらですと私を招いてくれた。教室内は整然とされているとはいえない机が昔と変わりなく並んでいた。その教室のほぼ中央の席に息子がポツンとひとり机に向かっていた。始業式の放課後、ひとり教室に居残り夏休みの宿題をやらされているのである。その姿はみじめで哀れでちょっと可愛そ・・・


イスの上でアグラかいてやがる・・・・。


コ、コイツ。。。
廊下から教室に手榴弾でも投げてやろうかと思ったよ、マジで。

2006年8月28日(月)

 今日から子供たちの新学期がはじまりましたが、中1の長男は泣きながら学校に行きました。あまりにナメた態度に私が激怒したからです。夏休みの宿題を3個もやっていないのに平然としているのです。
 朝食が終わり、長男に夏休みの宿題やったのかと尋ねると平気な顔して「ううん、やってない」と答えました。はじめのうちは私も冷静に説いていましたが、あと一週間でやるとか、なんとかなるよとか、反省しないばかりか焦りとか罪悪感とかさえまったく感じているようには見えずどこ吹く風なのです。この大人を舐めた態度、学校や教師など意に介さずといった舐め切った態度にそのうち私も頭に血が上り、太ももに蹴りを2発くらわせ「お前、今日、学校いくな!宿題終わらせるまで学校行くな!!」と胸倉掴みながら怒号を浴びせたのです。休みの期間は私からは宿題のことはほとんどいったことがありません。女房がある程度言っているので私は黙って見ていました。自由研究で調べたいことがあるといえばネットで調べてプリントアウトして協力しましたが、急き立てることはあえてしませんでした。キャンプの前も宿題が終わっていないことも知っていましたし、女房に今日やりなと言われても明日やると答えて結局翌日もやっていないことも知っていました。で、今朝、登校30分前に起爆スイッチを押しました。宿題をやらないから学力が低下するとか、ルールを守らなかったからとか、そういう問題ではなく、彼の大人を舐めきった態度が許すべきではないと思ったのです。反省して一刻も早くやろうという意思があれば少し違ったかもしれません。
 本人に学校に電話させ、宿題が終わっていないので今日休んでやりますと伝えさせたところ、担任に伝えておきますとあっさりスルー。すぐに私から電話をかけ直し担任の先生に代わってもらい事情を説明すると、学校で放課後やらせるから登校させてほしいと説得され半べそかきながら登校していきました。今日私も学校に行こうと思います。先生に小指の一本でも献上したい気分です。

2006年8月27日(日)

 本日は関東ミドルシリーズ第7戦モテギ北ショートの応援観戦にいってきます。今年のミドルシリーズを見るのはこれが初めてなのでとても楽しみです。天候に左右されないことを祈っております。応援は私だけじゃなくて、そうそうたるメンツのエグゼリアンが多分集合すると思われます。こちらも大いに盛り上がりそうです。

2006年8月26日(土)

史跡めぐりもしたがメインは海辺のキャンプと海水浴なのです。

長野経由で浜松の東、竜洋まで行くのに

朝7時に栃木を出発

というなんともおき楽なタイムテーブルのため竜洋キャンプ場到着が

20時過ぎ。(遅っ!)

キャンプを志すものとしてあるまじき行為である。

周囲は食事も終わりそろそろ寝ようかというムード一色。

そんなムーディーな暗闇の中、焦りながらレンタルテント組立開始。

組立要領書と懐中電灯片手にほぼ一人で格闘すること小一時間。

支柱を固定する肝心要のフックが見当たらない。。。

やがて消灯時間となり、なんかおかしいなと思いつつまぁいいかと妥協。

暗闇に浮かぶ妥協の産物、我が家のテントのシルエットは

まるでゾウをモチーフにした滑り台。ぱおぉぉぉん。

明らかに何かが違う。。。

こんなかっこ悪いテントは見たことナッシング。

息子に「寝れりゃいいんじゃね」と慰められ家族四人テントの中で

コンビニ弁当を食す。

この一角だけみすぼらしさ満点。

恥ずかしくも寝苦しい夜を迎えたのだった。


翌早朝、近隣住民に失笑されないうちにテント再建開始。

昨晩は暗くて見えなかったが、あっさり目的のフックを発見。

要領書と位置が違う、とも思ったがレンタルテントには良くあることだ。

やっとゾウの滑り台からテントらしいテントに組み上がる。


七輪に火をおこし火の神に感謝しつつ

金目の干物とサトウのごはんで豪華な朝食をとる。

ハンゴウとかめんどくさいものは使わない。

腹も膨れたのでいっちょー海水浴にでもいこうじゃないか!

いいいいいいやっほー!!と海パンに着替えていざ海岸へ。

本日は絶好の海水浴日和なり。










人類は滅亡したのか??

とにかく、、、、哺乳類は我々だけ。



とりあえず





脱ぐ。

埋める。




誰もいないというのも、なんだな。

うーん、そうね。

はっきりいって、不安+飽きる。



ということで海辺のしょぼいプールへさっさと移動。

結局全てが行き当たりばったりなのである。
あぁ、癒される。。。?

2006年8月25日(金)

 みなのもの、待たせたな。くるしゅーない、ちこーよれ。
平成十八年(二〇〇六年)初秋、下野藩(現在の栃木県)の商人江倶是家は度重なる猛暑と勤労に疲れ一家総出の旅に出る。下野から西に進路をとり信濃国は上野に入り真田氏歴史館、松本城を制覇し南下する。東海道でさらに西に進みまずは遠州竜洋に陣をとった。翌日浜松城を攻略。このとき三方原で家康公に恐怖のあまり脱糞させたのはあまりに有名な話である。勢力を拡大しさらに翌日、掛川城にて山内一豊公と千代殿になぜか拝観料として金子三千両を納め天守閣を制覇し、黄金十両の鏡栗毛(一豊の良馬)を奪い下野に帰国を決意。途中江戸の混雑に翻弄し飢餓で兵力の大半を失いながらも下野に戻る。この真田武田徳川山内鎮圧は全て中島家の第一子、聡一郎(後のチャッカマン守)のたくらみにて、歴史背景に無知な父聡にとっては苦難の旅であったに違いない。ちなみにチャッカマンの名の由来は男子たるものキャンプにてチャッカマン片手に終始身の回りのものに火をつけたがる性分から何度となく父に怒られたからという説が有力である。

2006年8月24日(木)

えぇー!もう帰るのぉぉぉぉ。

2006年8月23日(水)

キャンプだホイ♪

2006年8月22日(火)

フライング更新です。
 早稲田実業のクールなピッチャー、斎藤選手の汗拭きタオルはおかぁさんからもらったものか、彼女からもらったものか、気になってしょうがない40歳主婦。(食っちゃいそうな勢いで) そんな女房のためにワイドショーがあるといっても過言ではない。


■いくら孫でも目に入れれば痛い
 目力(めぢから)をビンビン感じるソース顔の30代眼科医。目医者たるもの目が命、と目が語る。その瞳で見つめられたら昼下がりのマダムなどメロメロではなかろうか。

 右の眼球を顕微鏡で覗かれモニター画面に映し出した私の愛くるしい瞳には、見事に金属粉が埋没しており周囲には錆も発生していた。これから除去します、という説明に予想通りとはいえ落胆した。なぜなら10年ほど前に同じような状況で異物除去処置を行った際、極度の緊張と恐怖のせいで不覚にも幽体離脱、いや失神したからである。小学校のとき朝食を食べないで朝礼で倒れるあれと同じだが、朝食はきちんと食べたのに白目を剥いてしまった。あのときの忌まわしい出来事が思い返され自然と引きつった笑いがこみ上げてきた。麻酔薬を点眼され異物除去処置をさっさと始めようとする医師に思わず私はカミングアウトした。

「先生、ちょ、ちょっと待ってください」

「どうしましたか」

「実は以前同じようなことがありまして、私、気絶しちゃったんです」

「ぷっ・・・・」 (確実に笑いやがった)

「こう見えてガラスの精神なんです」

神経だろ!と自分に突っ込んだが、それほど狼狽していたのである。

「極端に緊張するとそういうこともありますね。大丈夫、すぐに終わりますから」
(まだ目が笑ってる)

覚悟を決めて検査台にアゴとオデコを押し付けたら後ろの看護婦が私の五リン刈りの後頭部を手で押さえつけ逃げられないように拘束してきた。照射される照明の横の白いマーカーを見続けろ言われ、目をカッっと見開いたままマーカーを見つめる。前回と同じように医師が手に持つ鋭利な針のようなものが眼球に近づき、頭の血が一気に下がった。ところがほんの一瞬で、はい取れました、と。あまりの一瞬の出来事に拍子抜け。ブラボー、天晴れ、よっ、イケメン先生!と心で呟きヘモグロビンは遡上。前回はヤブジジィにいつまでたってもホジホジされたものだから脳内酸欠に陥ったが、この神の手を持つ色男は違った。こっちの手も早いんだろ?と小指のひとつも立てなくなる(下品)。すると
「じゃー、今度は周りの錆を取りますね」
終わりじゃねぇのかっ!喜びもつかの間、今度の鋭利な器具はなんとゴージャス、先端がヒューヒューいいながら回転しているのである!!ちょ、まて、神様。
「だいじょうぶですよ、歯を削るのと一緒ですから」
一緒じゃ困る!歯じゃねぇ、目だ、目!!失神寸前である。
しかしそれも3秒で終わりどうにか一線を越えることなく事なきを得た。持参のタオルでいやな汗を拭きつつ、ふらつく足でベッドに移動し半笑いの看護婦に眼帯をしてもらって終わり。どっと疲れた。




これが眼帯をした痛々しい姿である。






どこが痛々しいんじゃボケッ!と突っ込んでくれて結構。
宅急便のおにーさんに、その目どーしたんですか?と聞かれたが
眼帯の下の目のことか、眼帯に描かれた目のことか、応えに困った41歳。

(お知らせ)
23日と24日は人に言えない家庭の事情により更新できないので
寂しくなったらこの写真でも見ればいいんじゃね。

2006年8月21日(月)

 少し汗ばんだ房をサトシの右手が鷲づかみにし荒々しく揉みしだいた。やがて軟らかくなった房の突起からは、溶け出した甘い蜜がトロリと溢れ出す。サトシは欲望のおもむくまま突起にむさぼり付き、まるで赤ん坊のようにその蜜を吸い続けた。あぁ、クーリッシュ。高校球児がこれだけガンバっているというのに、おじさんったら。

 目のゴロゴロを鏡でよーく観察したら、瞳の隅に茶褐色の異物を発見!!恐らく金属片が刺さって錆びているものと思われる。以前にも同じ経験があるのだが、前回は瞳の中央の真っ黒な部分、つまり瞳孔にそれがあったので、ライターの火で瞳孔が動いただけで痛んだ。そのときは医者にいって針のような鋭利な刃物で異物をほじくり出したわけだが。施術の最中、視界の真ん中に刃物が近づいてもマバタキ一つ出来ない苦痛と緊張たるや筆舌しがたいものがあった。いつまでやっとんのんじゃぁぁぁぁ、このブキッチョ医者め!!と叫びたいぐらい。それがどれぐらい辛かったかというとだな、緊張のあまりだな、ボクちゃん気絶しちゃったんですぅ。きゃぁ、恥ずかしい。マバタキできないのに白目剥いてやんの。今でも覚えています。恐怖のあまり汗が噴出し呼吸が荒くなり、異変に気が付いた先生が「大丈夫ですか?深呼吸してください。深呼吸!深呼k・・・・」ってだんだん遠くに聞こえて、やがて視界にキラキラの緑色の花火が無数に弾け。。。。気が付いたらベッドに寝かされいました。気がついた瞬間最初に耳に入ったのは「珍しいわよねぇ、ふっふっふ」って看護婦たちの陰口だったので、恥ずかしくってしばらく寝たフリをしていました。

今日、眼科にいってきますが、また気絶して今度は失禁でもしてぜひネタに♪ってご要望が聞こえてきそうな気がしますが。マジ、怖いんだから!!

2006年8月20日(日)

うかつにも溶接で目を軽く焼いてしまい、目がゴロゴロ。
重ねて昨晩ビールを軽く飲みすぎてしまい、腹がゴロゴロ。
私の中のよからぬものが、ジョ・ジョ・ッビ・ジョ・バー。
どうも最近アルコール分解能力が低下しているような気がするのです。すぐに酔うし、頭も痛くなるし、たいして飲んでなくても翌朝残るし。気付かぬうちに少しずつ体のあらゆる機能が低下してるんでしょうね。仕方のないことです。

2006年8月19日(土)

 夏の甲子園はベスト4が決定しました。気温も選手も年々熱くなってます。正確には選手の温度は変わってないと思うのですが、その魂から湧き上がる気迫を自由に体で表現するようになりました。昔は起死回生のホームランを打ってもガッツポーズなんかしたら上から指導されてましたからね。今は自由に思いのたけを爆発させています。今年は吠える選手が多いですね。見ているこちらに彼の気合や喜びがビンビン伝わってきて引き込まれます。なかでも駒大苫小牧の逆転を狙う時のバッターや走者からはメラメラと燃える紅蓮の炎さえ見えそうな気迫です。これでは相手のピッチャーは投げづらいでしょう。星飛雄馬の目が燃えるのと同じです。私の高校時代とは雲泥の差です。なんせ気合を入れること事態皆無の自堕落っぷりでしたから、メラメラと燃えるどころか腐りかけて陥没した魚の目でした。スポーツっていろんな感情を沸騰させる力があるんですね。あぁジムカーナに出会えて本当に良かった。吠えたりガッツポーズが出来ますもの。本当に良かった。

2006年8月18日(金)

 残暑お見舞い申し上げます。
お盆の連休を満喫されてる皆様、いかがお過ごしでしょうか。楽しい連休もそろそろ終わりですね。そんな今、皆さんに言うのもなんなんですが、来週の火水木は世間様の連休を避ける形で家族でキャンプにいってきます。朝からビールを飲んで潮騒と潮の香りに包まれながらうたた寝し、せがむ子供に起こされて海に入って波に漂いクラゲに刺されてきます。仕事とジムカーナを忘れる唯一の3/365をお許しください。キャンプだホイ!キャンプだホイ!キャンプだホイホイホイ!

2006年8月17日(木)

 昼間は韓国人でごったがいしてる韓国人が経営してる韓国料理屋の本格派と思わしきカルビクッパを昨晩食べましたが、これが本物のカルビクッパかっ!と
カルビクッパにカルクビックリしたわけです。
カルビクッパにカルクビックリしたわけです。
カルビクッパにカルクビックリしたわけです。
今まで私がカルビクッパといい聞かされて食していたものはいったいなんだったのか、わかめスープ雑炊だったのねってことがわかりました。韓国人が作るからといっても地方や家庭によって趣味趣向は違うでしょうが、昨晩食った韓国人が作ったカルビクッパは一言でいうなら重い(約3t)。むしろカルビ邪魔ってぐらい重いのです。米はもちろん、韓国モチとビーフンが大量に入ってるんですよ。どれももともと米じゃねぇか、と突っ込みたくなりますが。小麦で言うならお好み焼きとたこ焼きとクレープの三重奏リゾットって言ったらわかりやすいかな。それが分厚い骨付きカルビの脂がトロトロと溶け出した高脂血症スープで煮込まれていているわけです。BoAやユンソナは毎日こんなもん食って毎日どんなもん出してんの!?とか知りたくなっちゃいますよ。おかげで朝から食が進みません。
アジアン・ヘヴィーデューティー。

 全日本ジムカーナ第9戦九州ラウンドの申し込み締切は8月19日(土)なので今日出さないと間に合いませんことよ!

2006年8月16日(水)

 デ、デカチョー!有力な目撃情報を昨日入手しました!!
千葉県在住の男性、関東戦の選手らしき人物からです!!

> 中島さま
> 昨日、学生時代の友人と横浜中華街で昼飯を食べたのですが、ふと向かいの席を見ると、老夫婦と一緒に亀キチ?1号&2号様と非常に良く似た少年が座っていてびっくりしました。適当に入ったお店だったのですが、たしか「上海料理 揚州飯店別館」だったと思います。
> いや、それだけです(^^;;; 最終戦も宜しくお願いしますm(_ _)m



よし、すぐに裏を取れ。

   ・
   ・
   ・

デ、デカチョー!目撃証言の裏が取れました!!
老夫婦に電話で確認したら
「あらあんた、なんでしってんのよ、そうよ、そこで食べたわよ」って。

ビンゴ!!


全国指名手配とかされたら絶対逃げられないわけだ。
目撃情報ありがとうございます。
あなたが目撃したのは確かに亀吉1号2号とヘソのゴマの母と髭剃りのときホクロも切って血が止まらない父です。

2006年8月15日(火)

 息子達が昨日から神奈川の祖父母のうちに遊びにいってしまったので久しぶりに夫婦水入らずの夜を迎えた。女房が寂しいだろうと思い早めに帰宅したら予想通り、静かな茶の間で女房がネコとしきりに会話をしていた。ネコにとってはいい迷惑かもしれない。いつもは息子達と分け合うお菓子も一人で全部食べてしまったので夕飯を食べる気がせず買い物にもいっていないらしい。なんでもいいから有り合わせでなにか作ればいいといったら、ウィンナーとピーマンの炒め物、味噌汁、ごはんにきゅうりのキューちゃんが出てきた。まるで老夫婦のような質素な食卓。テレビのチャンネルをあっちこっちツマミ食いしてはテレビにツッコミをいれ、結局どれもつまらないのでテレビを消したら、時計の秒針の音とネコの足音が聞こえるほどの静けさに包まれた。座布団を二つ折りにした枕で二人茶の間でLの字になって横になり、寒くなってはエアコンを消し、暑くなったらエアコンを付けを繰り返し、いつしか寝てしまった。しばらくしてから女房に風呂に誘われ起こされた。ついでにネコも洗おうということになって二人と一匹、家族総動員でフロに入る。これまたネコにとっては迷惑な話である。その後テレビもみずに二人そろって早めの就寝。この歳になると急に二人きりになったからといっても特別に何かあるわけではない。むしろロウソクの火でも暮らしていけそうなぐらいの負のテンションなのである。これが今夜も続く。ネコをなですぎて毛が全部抜けなければいいが。。。(寂)

2006年8月14日(月)

 何年かぶりの朝マックでマフィンを食べながら国道4号の信号に止まっていると斜め後方から突然暴走族が現れ、信号無視して、天下の国道4号線の真ん中をを蛇行運転しておりました。なにやら大声で奇声を発しながら、右手でアクセル煽る煽る。クラクションも鳴らす鳴らす。ブォン!ブォン!って言いながら。チリン♪チリン♪って。
麦藁帽子かぶった70代とおぼしき老人のチャリンコ暴走族なんですけどね。
いやぁ〜ビックリした。抜かすとき、違う意味で怖かったぁ〜。

2006年8月13日(日)

今日は腫れ物に触るような微妙さの3位でした。
3位になれてうれしいのだけれど、1位とのタイム差を考えるとねぇ。

2006年8月12日(土)

 明日はJAF関東ジムカーナシリーズ第9戦関越スポーツランドです。今日から走っている人も多いかと思います。早速通勤中に携帯がなりまして、関越のEF8さんからラジエターパンクの一報を頂きました。_| ̄|○  ありがたいことです。
偶然ガレージに入院中の別のEF8さんに電話して、ラジエターを貸していただけるとご快諾いただきまして、イベントもがんばるように伝えてくださいとまでいっていただいて。これこそ本当にありがたいことでございます。m(__)m
お客様同士がエグゼを通じて助けあってくれる姿は、心から嬉しく思います。
 さて、私は夕方にでも少しターンの練習をしてゆっくり休んで明日の本番に備えます。今日できないことは多分明日もできないので、なにも考えないで仕事に勤しみます。

2006年8月11日(金)

 祝!RX7燃費8.9km/L達成!!
ガソリン価格高騰のためエコドライブに徹したらこの燃費ですよ。これはすごいですよ。RX7は8キロ超えないと思っていましたが、見事に超えました。一般道路40km+高速道路100km走ったときの燃料消費量が15.6L。前回エコドライブじゃない普通運転で同じ行程で20L超えましたから、なんと25%も低減!!伊那の時は6.3km/Lぐらいでしたら、8.9っていうのはもう信じられなくって!浮いたお金で家でも建てたい気分ですよ。では、そのエコドライブの具体的やり方の全貌を明らかにしますね。
@エンジン回転数は2,500rpmを上限。  以上!
したがって最高速度は70km/h!!(高速道路も)
おそい!おそいよ、カメセブン!!もう誰の追従も許さない速度です。遅すぎてイラつくからだれも追従してくれません。だって普通にサンバーとか赤帽とかに抜かれますもの。バックミラーに移った全ての車が抜かしていきましたもの。燃費は25%向上したけど所要時間と疲労が25%増ですもの。右足、つりそうになります。でも来年の全日本転戦に向けて大幅なコスト削減方策だと思うのです!!パチパチパチパチ。
ところで、高速道路で70キロ巡航中、登坂車線のダンプに抜かされて初めて気が付いたんですけどね。「遅い車は登坂車線へ」って書いてあったので、本気出せば速いんだぞ!って思って走行車線をチンタラ走りましたがあれってそういう趣旨じゃないんですね。

2006年8月10日(木)

 フライング更新です。飛びませんが。
今日は実習じゃなくて自習のためSSPにいきます。現地の天気は・・・と伝えたところで自習ですから、私しか関係ナッシングですから意味ないですね。曇りの30度!最適ですプチ自慢です。うっしゃっしゃっしゃっしゃ〜。中学生の頃とか先生が時間になってもなかなか教室にこないと、おや、これってもしかして、THE JISYUU.MAJI? JISYUU.とか頭の悪い男子がはしゃいでいましたよね。私もめっさはしゃいでいました。むしろ先頭に立って教壇に立ってはしゃいでたら、ガラガラ、「中島、なーにやってんだ、早く席に着け!」って先生の時間差攻撃に被爆していました。てへっ! しっかし、自習って魅惑のチキルーム並のパラダイスでしたよねぇ〜。ジ・シュ・ウって文字だけでもメシ3杯は食えそうなぐらい嬉しかったですよ。別の先生が教室に入ってきた瞬間、もしや自習?ってヨカンするわけですよ。その先生が「今日は上田先生は研修で名古屋にいってるた・・・」もう最後のほうは聞き取れないぐらい気が遠くなって。その先生が説明終わって教室から出てきっちり5秒後に、イイイイイイイイイ・ヤッフォォォォォォ!!って立ち上がって自習の歓びの踊りをドンドコドンドコ輪になって踊ったよね。早速教室の前と後ろに机で要塞作って、小さく硬く丸めた紙を輪ゴムで飛ばしてお調子者仲間と戦争ごっことかしましたよねぇ〜。メガネの女子に「ちょっとそこのダンシー、静かに自習しなさいよ!」って「うっせー、ブース」とか、ガラガラ、「うるさい!なにやってんだ!また中島か!」って隣のクラスの伏兵先生のゲリラ攻撃にだ捕されて放課後まで廊下で見せしめの刑になってましたよね。みんなもなってましたよねぇ〜。ねぇってばぁ。
ということで今日は自習にいってきます。
よおこそここへ、遊ぼうよパラダイス♪ふふふー・・・(歌詞知らない)

2006年8月9日(水)

 歴史マニアの息子に”日本人なら見るべき”と進められて先日放送されたNHKスペシャル「硫黄島玉砕戦」のビデオを見た。凄惨を極めた地獄のような戦いから生き残った老人たちの体験談にもらい泣きした。本土から見捨てられながらも、投降を許されず、自決を許されず、一人十殺、総攻撃を命じられる勝ちようがない戦い。死して尚、屍は弾除けとして使われ、唯一の人情は苦しむ仲間を殺してあげること。遺族に語れないようなことがあったと涙する老人。人が人にあらずの局面において人道を問うのはあまりにむなしい。20日間飲まず食わずで壕に潜み空腹に耐え切れず炭まで食べて飢えをしのいだ、と泣きながら語る場面は衝撃的だった。やがて壕には海水とガソリンが流し込まれ火を放たれるのである。。。
 これを見て思ったことは反戦でも当時の批判でもない。今の私は今の老人に敬意を持って接しているかということ。以前から気がかりではあったが、道ですれ違い軽く挨拶する程度の近所の老人や、ちょっとした手助けをして礼を返す老人より、私は頭を深く下げたことがない。老人のお辞儀は小さな体を小さく折り曲げ後頭部が見えるほど深々とゆっくりと頭を下げる。実に自然に穏やかに礼をする。対して私は視界から相手が消えることなくペコッと軽く頭を下げるだけ。思えば老人への敬意のカケラも感じられないほど無礼極まりない。さらに老人は確かに肉体的な弱者であるけれど社会的な弱者であってはならないとも思った。老人は弱いから若くて強い自分が守る、などというのはおごり高ぶりはなはだしく、本来は心からの敬意がそのような行動に現われるべきである。テレビに映るこの老人、涙しながら当時を語るこの老人の長きに渡り背負い続けている重荷のほんの一部分を察したら、”老人への敬意”という当り前のように言われていることが心から理解できる。いまさらながらの恥ずかしいことだ。

2006年8月8日(火)

 8月はプチシーズンオフモードでしょうかね。仕事の入りもまったりしております。シリーズ戦を考えてもシリーズ終盤に向けてなにか明確な目標を持った人だけがガツガツしている気配がします。私もガツガツしているので木曜日に北のほうにコソ練にいってこようと思います。涼しいといいなぁ。ちっともコソじゃないなぁ。
 次戦の会場の関越スポーツランドの夏の暑さは尋常じゃないです。関東は暑いってラジオで沖縄の人がいってました。沖縄のほうがぜんぜん暑くないって。そういえば過去2回、九州にジムカーナしにいきましたが、確かに日差しはきついのですが気温は32度程度ですから涼しいもんです。南は暑いという先入観と現実の違いですね。インド人にココイチ30倍カレー食わせたら、ヒィーこんなの辛くて食えないよ!っていうのと似てます。わかりにくい例えですね。まぁとにかく現代では都会のほうが暑い、ヒートアイランド現象ってヤツがおきているようです。夏夏夏ココ一番、あいあいあいあいヒートアイランド♪って歌もあるぐらいですから。もうずいぶん見かけていませんがチャゲの毛は大丈夫でしょうか。寝苦しい上にオチもなく苦しいんですけどね。

2006年8月7日(月)

 山鳩の鳴き声で目を覚ましました。皆様いかがお過ごしでしょうか。私は今、とある高原のコテージから更新しています。開けた出窓の外は白樺の林と透き通った青い空が続いています。白樺の林を縫うように流れる小川のせせらぎと野鳥の声とともにさらさらの空気が流れ込み部屋をマイナスイオンで満たしてます。少し肌寒いので熱いシャワーを浴びて体を起こした後、テラスで苦めの冷えた地ビールを一杯飲みました。グラスのビールごしに見る美しい景色にこの上ない幸せな気分になって思わず乾杯と口ずさんでしまいます。おっと、遅めの朝食ができたようです。妻がダイニングから私を呼んでいます。そんなに大きな声を出すと森の動物達が驚くじゃないか。。。食事がすんだら子供たちを連れて小川の探索にでも出かけようと思います。


マイナスイオン0ppmのタバコ臭い事務所で扇風機全開にして書いてます。
せめてマイナス思考にならないように。すでに暑くて死にs・・・。

2006年8月6日(日)

 昨日は暑かった!直射日光にあたると免疫力が低下するという放射能並みの太陽光線を避けながら練習していました。トップと3秒も離されましたが、内容的には満足かな。ポイントリーダーに手取り足取り教わりながら(教え方が巧い!)走りも教え方もとっても勉強になりました。今日はエントリーが20台しかいないさびしい茨城戦イバチューのクラブマンクラスに乱入です。エグゼのお客さんもなにげに集まりそうなので、エグゼカップ盛り上がりそうです。私は新品タイヤ投入しますよ!つい最近買ったばかりのTTですけど!!昨日も今日も吉牛の鰻メシ!!
ぱぱぁ、今夜は ホームラン 精力絶倫だね!!(子供に言われると照れる)

2006年8月5日(土)

 今日はイバチュー練習会にいってきます。
暑くなりそうです。
だって現在6:50ですがセミがギザ鳴いてますもの。
私はセミに例えるとアブラッコイゼミです。
セミは7日間しか地上で生きられないので気の毒だといいますが、すでに7年も地中で生きてるんだから昆虫の中では長寿なほうです。医者に「あともって7日間・・・」と告知され、うわぁずーっと土の中に引きこもってたけどおれの人生っていったいなんだったんだ、このまま死ぬのってなんかむなしくね。よーし、こうなったら歌舞伎町でも六本木でも行ってキャバクラで体力と財力の許すかぎり羽目を外して文字通り羽を広げて、へっへっへっへ、メスはどこだメスは!!ねーちゃんねーちゃん、オレはもうすぐ死ぬんだからよぉ、って手当たり次第、、、文字通り昇天するんですよね。やっぱ人に例えると気の毒ですね。

2006年8月4日(金)

 土屋アンナをみて、コイツ、アン・ルイスとかぶってる、と思ったけど時代が違う違う。かたや30年前ですからね。今聞いても古さを感じないところでアン・ルイスはすごいぞと思ったわけです。
ねぇ、わたし (ヒューヒュー)
キレイでしょ (ヒューヒュー)
イイオンナでしょ (ホワホワホワホワ)
いまだにカラオケで大盛り上がりですよ (おじさんは)(ヒューヒュー)
この時代はザ・ベストテンという歌番組がありまして、サザンオールスターズなんかもこの番組の今週のスポットライトでテレビデビューしたんですけどね。陰湿なライブハウスらしきところでランニングシャツ姿のクワッチョが清潔感ゼロで勝手にシンドバットですから。これって歌?なに歌ってるの?という完全に浮きまくり状態で日本国中のお茶の間が唖然としたのを覚えています。あと、トンネルズの石橋がファンにぶちきれたのとか。松田聖子のうそ泣きもこの番組でしたね。あと、大川栄作がタンスをひとりでかついだのね。
 両親はこんなナウい番組より懐メロが好きで、日夜テレビチャンネルの親子争奪戦を展開しながら、こんな古臭い歌のどこがいいんじゃと全否定してました。
あぁ、ザ・ベストテンなつかしいなぁ。だってパラシュートつけてTOKIOが空を飛ぶんですよ(長瀬とか国分とかじゃないからね)。



6日の日曜日はイバチュー茨城戦へGO!
8,000円で4本走れて弁当付
当日受付のクラブマンクラスで私と遊んでくれる人大募集中♪

2006年8月3日(木)

 てぃくびが痛い!右てぃくびが痛い!!
手首か乳首かは想像にお任せしますが。



亀田、世界チャンピオンになりましたねぇ。
あれって八百t・・・・
ホスト?の国歌斉唱はF1鈴鹿のKEIKO以来の笑劇でしたが、
国民なめとんのかっ!(いろいろと)
コラァッ!!

似てる・・・。
これは我が家の亀キチ1号(愚図でノロマ)なんですけどね。3歳ぐらいまでは買い物に連れて行くとレジのおばはんに、あらやだ、あんた、ちょっと、この子、ボッシングの辰吉にそっくりやんかぁってよく言われたりなんかして。でも見かけ倒しのなんちゃってでして、闘魂の魂の小さいムすらないですから。そのくせ戦国武将に生まれたかったとか言ってるんですからね。貴様の首など寝起きを襲えばたやすいわっ!早く起きろ!夏休みだからってネコよりたくさん寝くさりやがって!!ついでにコイツより何倍もがんばっている興毅君にも早く目を覚ましていただきたいと思います。まぁ本人もこれからスタートって言ってますから。

 さて、8月6日(日)は茨城ジムカーナシリーズ第5戦がKOYOさん主催でICCで行われますが、私はまたまたクラブマンクラスに出ようかと思います。皆さんもいかがですか?エグゼカップ。今回は関東N3ポイントリーダーの木村選手が試走をしてくれると思うので、そのタイム目指してFDでマジ参加するつもりです。1.5秒も離されたら翌週の関東戦を目の前に精神的ダメージを受けるので今日から緊張しています。

2006年8月2日(水)

 ガリガリ君食いてぇーーーー!!というテンションになかなかなれませんな。私はこの方が仕事もはかどり好都合なわけですが。暑い時期に暑くなってもらわないと困る人も沢山いるわけで、やっぱ平均的な当り前の気候というのが日本国民の平均的な希望ではなかろうか。などと耳掻きでヘソのゴマほじりながら考えたりしております。耳掻き使うのってへんですか?だって、ヘソ掻きってダイソーにも売ってないじゃないじゃないですか。綿棒で取れるほど弱虫な黒ゴマじゃないし。あぁ、おなかが痛くなってきた。

■ヘソのゴマの思い出
 まだ私が小学生の頃、少々太めの母はそれはそれはたいそう大きなヘソのゴマをそのヘソに精製蓄積しておりました。深めのヘソから少し頭を飛び出すほどの大きなゴマは、色は緑ががった茶褐色をベースにところどころ白い粉が吹いた。。。すでにこの時点でゴマとはいいがたい鉱石のような代物なのです。一度主成分を原子吸光光度計で分析したいぐらいですが、母はヘソのゴマを取るとおなかが痛くなると信じてやまない昔かたぎの人でしたから、その鼻くそ以下のヘソ鉱石を大事に大事に育てておりました。

 ある日、母が父に小さな丸い粒を手渡しました。茶褐色の白い粉が吹いた粒。それを父が受け取ると母は「臭いをかいでみ」と言ったので父はその粒を鼻に近づけ臭いを・・・


「臭い!!ううぇおぁ〜、臭い臭い臭い臭い!!」
「なななな、なんだ、この臭いは!!!?」

すると母は応えました。

「あたしのおヘソのゴマよ」
「今日、ポロッと取れたの」

父ドン引き、そして、激怒。
100年の恋も98年前に冷めているというのに何たる追い討ち。と思ったかどうかは知りませんがそりゃー父が怒るのも至極当然のこと。しかし母はひるむことなく驚愕の行動にでたのです。怒る父からそのヘソのゴマをつき返された母は


その粒を口にポイ!
もぐもぐ、ごっくん♪


食っちゃった。


「わっ!ばかっ!やめろっ!!」 父絶叫。
妻の投薬自殺を目の前で見たかのような慌てっぷりです。

すると母は大笑いしながら

「うそようそ、これ干し納豆よ、なつかしいわぁ」

干し納豆とは納豆を干して乾燥させタダでさえ臭いのにその臭さを濃厚に凝縮した生物化学兵器並の食用マメのことです。

父は、今度はおちょくられたことにひどく腹を立て、母がなだめて干し納豆をすすめても決して口にすることはなかったのです。ことの一部始終を見ていた私は子供心に「この親おもしれぇ」とか思ったものです。




月日は流れ、私が中学生になった頃、
ある日、母が風呂に入るのにパンツを脱いだとき、パンツのゴムに引っかかった巨大なヘソのゴマが、ぴーーーん、コロコロリン♪と母体から離脱。母は絶叫しておりましたが誰にも見せずに棄てたらしいです。母のことですから棄てる前にぜったい臭いを嗅いだと思うけど。

2006年8月1日(火)

 今日から8月、あぁ夏休み(子供だけ)。朝晩が涼しくってよく眠れること眠れること。早朝のラジオ体操で起こされるのは健康に悪いです。私が子供の頃(30年前)は登校班の子供とその親が全員そろってラジオ体操してまして、近所の鼻毛を伸ばしきった農家のおじさんがその朝取れた野菜を軽トラで売りにきたりして、体操が終わると各家庭の母親達がトマトやきゅうりやトウモロコシを子供にねだられて買っていましたが、今は半分寝ぼけた子供たちがパラパラと集まり、来ない子供も沢山います。子供がそういう状況ですから、親は誰もきません。私とばーさんの二人だけです。コミュニケーション不足が問題視されている昨今、確かにひどい状況です。眠いのをムリして起きて化粧もせず目的がはっきりしない不合理な夏休みだけのラジオ体操に集まるは親はいません。このように今を肯定して考えると、むしろ昔の親達はなぜ笑顔で集まれたのか?疑問に感じるところであります。今と比べて暇だったわけでもなく、今と比べて豊だったわけでもなく。私が思うに、昔は”めんどくさい”という概念が極めて少ない社会だったからではないかと考えます。”めんどくさい”とか”かったるい”とか、昔はほとんど聞かなかったように思います。意識的にがんばっていたのではなく、無意識的にめんどくささを感じなかったのかもしれません。今の便利さから比べれば全てがめんどくさいことだらけでしたから。近年急速に次々と現われる便利なことと従来のめんどくさいことを比較選択し、めんどくさいことをどんどん切り捨てていったことでめんどくさいことがめんどくさいこととして意識され、めんどくささの排除が考え方の優先順位の上位にきちゃったんでしょうか。他人の助けや励ましを必要としない自己完結型の便利さを手に入れたからでしょうか。ラジオ体操も徒歩の買い物も近隣との付き合いも議論も気配りも、全部めんどくさいですからねぇ。急激に便利さを追い求めた副作用かもしれません。今日でたった5日間の朝のラジオ体操は終わりです。
さぁ、今日は涼しいので仕事がんばるぞっ!
(じゃー昨日はがんばらなかったの?ってツッコミはなしね)





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2006年8月ぶん